河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

盆過ぎて思う

 2018年8月21日に亡くなった友人大嶽和久兄のことです。先ほど何か音楽をと目を瞑って引き出したCDが彼の楽曲集「飛天」でした。偶然というか、彼が引き寄せてくれたのだと思います。そこで、本日は三回忌として彼を暫し偲んでみたいと思います。
 CD曲集「飛天」

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 彼とは教会学校仲間と云うことになっていますが、学齢で中・高そして青年会と区切り編成していましたので4年先輩の彼とは深く交わった経験はあまりありませんでした。しかし、今となって思えば私にとって教会学校というのは「異業種交流会」の様なものでもあります。大嶽君のように箏曲家もおれば、旅行業者、放送局勤務そしてハウスメーカー等々のそうそうたる人材がおられ、会社で何か問題に突き当たると教会内の何方かに相談が出来ます。多分、仏教界でも檀家の中に斯様な人材群があるのでしょう。
 手芸品の専門家もおられる 和郎女作品

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 大嶽君とより深く付き合うようになった切っ掛けは「大和川」です。2004年に大和川付け替え300年を迎え、沿岸自治体や関係団体で記念の催しをと云う雰囲気になってきましたが、元々の付け替えの発起人と云える中甚兵衛やその子孫(十代目中九兵衛氏)との間隔がやや広い。それに至る伏線はあるのだが、この際そこは端折って・・・。そこで以前からお付き合いのあった愚僧に声が掛かりある程度の修復が出来ました。柏原市内で行われた諸行事にも出席戴けました。(その後、九百点に及ぶ中家文書・図面等は柏原市立歴史資料館へ寄託されることになります)
 九兵衛さんの自費出版の報道も

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 そこで大嶽君の出番です。「大阪の歴史や文化を激変させた偉大な土木事業をテーマに曲を作れへんか・・・」と愚僧が出しゃばる。大嶽君はその様なこと御子孫が承諾されるか?  その辺は愚僧に任しといて・・・との乗りで出来たのが「飛天」におさめられている「大和川」。
 大和初瀬にその源を得た大和川は三輪、飛鳥そして斑鳩と流れ、亀の瀬で河内に入ります。時に静にそして暴れる大和川の流れを絹の糸や笛で巧みに表現します。楽曲(編成I・II 箏・十七絃・三絃・尺八)はその年の「第26回関西邦楽作曲家協会作品発表会」で初演されました。
 大坂夏の陣400年祈念「誓いのとき」譜面

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 その後大嶽兄との楽曲に関してのお付き合いが深まり、大坂夏の陣に関しての「誓いのとき」の作曲に至ります。楽曲を作るなら現地を・・・との執念に近い拘りは、時に玉手山公園内での寅2号の脱輪も引き起こします。もっと奥まで行きたいと言い出した彼も落ちた車を押してくれるのですが、大切な指になにぞあってはと回りが気遣いします。そして、見事完成を迎え「小松山合戦まつり」という大坂の陣関連の最大のイベントで初演されました。
 玉手山公園内の野外ステージでの初演  中央が大嶽兄

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 ここで勝手自慢ですが、大坂の陣に関してはタオル、饅頭、お酒・ワイン等々のアイデア競争のようなgoodsが考案されましたが、愚僧が関わった「大坂の陣煎餅」と「誓いのとき」が今も存在しています。売れる売れないは別として、大嶽君や愚僧が関わった物がこの後も大阪の記憶に残るようにと願っています。
 大坂の陣煎餅

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 大嶽和久兄の命日にあたり、字数をつらつらと並べただけで文脈からすると妙な所も多少ありますが、ご勘弁を戴きたいと思います。さて、三回忌の命日と言うことですが、肝心のお供えを失念しておりました。来月のお彼岸に線香と煎餅をお送りして仏前に供えて戴くこととします。

 なき友を 思い出させる 銀盤から
      アンプ直せと 指図在りしか <偐山頭火