河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

武寧王と鏡で再会

  先日、紀ノ川沿いをドライブ。橋本市では隅田八幡神社、紀ノ川を渡り高野山中の丹生都比売神社を訪れてきました。以下に記載する銅鏡を見学したり、丹生都比売神社の太鼓橋渡りに挑戦してきました。
 先ずは、隅田八幡神社から。同社には百済武寧王から継体天皇に贈られた(諸説あり)という銅鏡が保存されています。武寧王(462年-523年)は、百済の第25代の王(在位502年-523年)。で墓は1971年に忠清南道公州市の宋山里古墳群から墓誌が出土し、武寧王陵として王墓が特定されました。このお墓を半世紀近く前に訪れた事がある愚僧は、当時のガイドからの拓本を二枚購入しています。往時も色々な偽物土産(朝鮮人参、高麗青磁等)もありましたので、半信半疑でしたが、古墳内を直接観察出来た時に見たものと同じに思えたので購入しました。と、云っても一枚500円ですから気軽でした。
 購入した磚 額装

 額装して気まぐれに飾ったりしていますが、当家を訪れた方誰一人「これは何ですか・・・」と問われること無く半世紀経っています。同じ旅で慶州で購入した「エミレの鐘」(国宝)拓本(二対 掛け軸)も一枚500円でしたので、両方掲げると2000円ほどの韓国の国宝と同等クラスの拓本です。エミレの鐘はその後訪れましたら、超近代的な慶州国立博物館に収められていましたが、最初に行った当時の国博は田舎の小学校のような木造の建物。その軒先に鐘が置かれていましたので、警備員が夜間バイトで拓本は採れるなとも思いました。
 隅田八幡神社

 最近友人の偐家持氏が紀ノ川沿いを輪行したという記事に、武寧王が倭の国の継体天皇に健康を願って贈ったと云われる人物画像鏡(国宝、東京国博蔵)を隅田八幡神社でそのレプリカを見たという稿が掲載されました。継体と武寧の関係と云うお話は聞いていまして、その贈られた鏡も和歌山にあると云う事も知っていましたが、なんと大阪府との県境橋本市にあるとは思ってもいませんでした。
 人物画像鏡

 隅田八幡神社の人物画像鏡は青銅製で径19.9cm。近世の地誌類にもこの鏡についての記載があることから、古い時代に出土したものであることは確かだが、正確な出土年代や出土地は定かでない。と云うことだが、ウィキペディア等によると銘文と読み下しは
  癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟
 (大意)癸未(きび、みずのとひつじ)の年八月 日十大王の年、男弟王が意柴沙加(おしさか)の宮におられる時、斯麻が長寿を念じて開中費直(かわちのあたい)、穢人(漢人)今州利の二人らを遣わして白上同(真新しい上質の銅)二百旱をもってこの鏡を作る。
 と云うことらしく、武寧と継体の関係とも理解出来るということでも愚僧としては充分に半世紀前の旅とその過去千年以上そして現在が繋がったことに感無量です。
 隅田八幡神社本殿と銅鏡レプリカ

 事前に購入していたマックを神社全体を望める場所で食いながら、次の行程について考えました。偽家持氏は近くの真土万葉の里を犬養先生の歌碑を巡るのが主たる目的のようであったが、愚僧は万葉歌碑は偐家持氏に譲り紀ノ川を越えて高野山中にある天空の杜と云うべき丹生都比売神社を目差すことにしました。
 隅田川堤から神社を望む

 紀泉山脈の緩斜面から急斜面になる辺りの耕作地限界の端に隅田八幡神社があります。この参詣する人に厳しい地形は他の社寺でも同じですが、この写真の何処かに真土万葉の里があるのかも知れませんね。では、ボチボチ紀の川を渡ることにしましょう。

 継体と 武寧を繋ぐ 鏡かな  <偐山頭火