河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

天空の社へ

 紀の川を渡河しようという所からの続きです。隅田八幡神社前から国道24号に乗り暫く南下すると紀の川を渡る高野街道と合流、川を渡り対岸を南下します。ここで国道370号となります。高野街道と付きつ離れつしつつ南海高野線の学文路駅等を通過してさらに下ります。九度山駅で南海高野線と離れます、電車は直登に近い路線を高野山を目指しますが、愚僧の目的地丹生都比売(にうつひめ)神社は高野山を少し西南に外れた場所にあります。国道とは九度山で離れ県道13号となり、さらに県道109号に入ると目差す丹生都比売神社への一直線(?)です。
 県道109号から紀の川を見る 隙間に少ししか見えないですね

 何十回とカーブを曲がりきると突然水田が現れます。ここが天空の社とそれを支える集団が永遠と営みを続けてこられた天空(和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野)です。愚僧がこの場所を知ったのは白洲正子著の「かくれ里」ですが、高野山いわゆる弘法大師と丹 (水銀)との関係等興味深い記述に引かれて訪れました。
 突然の水田出現

 空海と水銀との関係は推論が多くて愚僧には説明が及びませんが、高野山中の神社とそれを取り巻く多くのお寺が明治維新まで存在したと云うことは事実です。詳しくは神社のホームページでご覧ください。

 さて、今回の訪問は山中の社にある太鼓橋の制覇です。愚僧が何度も訪れていますが、この太鼓橋を渡った経験がなく、今回股関節の置換術を受けた成果の一つとして挑戦と云うことです。云ってみれば「太鼓橋リハビリ」をしたい・・・という意図という単純な目的です。 
 これに挑戦

 大阪の住吉大社の太鼓橋と比べて少し小さめだと思いますが、何度も脇を通過してきた者にとっては大きな山に見えました。
 頂に到達

 踏み出しは少し急で一段ずつ登りますが、上に近づくと緩やかになり交互に踏み進んで登頂です。そこから見た社の眺めもまたいつもと違って見えるのは満足感故でしょうか。慎重に下ります、正面正攻法での社寺参詣は久しぶりです。丹生都比売大神はじめ四神と何故か真言宗の僧侶行勝上人が祀られている本殿は珍しいと思います。何時か訪れた時に観光ガイドが本殿前でお経を唱え、この神社の神様は**経がお好きなんですと云っていたことを思い出されます。
  中鳥居付近から本殿

 神社はコンパクトな構成ですが、池やその他の装飾も施された作りとなっています。多くの参詣も期待できず、高野山帰りに足を伸ばすという場所でも無いこの辺りとしては出来すぎと云えばお叱りを受けますがバックの財力が見え隠れします。
 境内略図

 さて、小径のトレンクルは積んできているのですが偐家持氏の様にそれが無いとどうしようもないと云った状況でもないと下ろす気にもならない。数年前なら猛暑の中でも偐家持氏の背を必死に追いかけていましたが、今は術後という安楽な雰囲気に慣れきっている愚僧に反省、下に降りたら走ろうと思いつつ未だバイクは漕いでいません。
 西行

 紀の川を少し下った紀の川市打田に知行を持っていたという西行が、出家後に奥様と娘を呼び寄せて暮らした庵を再現したという西行堂が天野集落の外れにあります。下北面(げほくめん)の武士でありながら出家しても妻女を呼び寄せ・・・と云うと少々おかしな話ですが、出家と云っても俗世と断絶が出来ないという証なのか。詳細に知るところではないので、愚僧は早々と還俗することとします。
 
 天空の 社でリハビリ 丹生都比売  <偐山頭火