河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

一言主神社 たれもいない一言もないお参り

 雨中夕刻でした、御所市の葛城山麓にある一言主神社へお参りに。特に愚僧が偐神道というわけでもなく、手当たり次第にお参りすると云うのが偐山頭火流です。バスが入らず出店もなく彼岸花のシーズンしかカメラの一斉放射もない。鄙びた神社です。お参りするのがただ一人なので一層鄙びてきますね。
 最後の階段から来た方向

f:id:gourmet_j:20210122230630j:plain

 鄙びたという表現を使いましたが、拝殿などの手入れは非常に行き届いています。拝殿正面の公孫樹は千年以上と云われていますが、それは真っ赤な噓ではありません。秋には葉が赤ではなく黄色く色づいていますから。(?)何年か前には枯れかかりましたが、樹木医の努力で蘇る様を見ていると神宿ると云う表現が当てはまると思います。
 拝殿

f:id:gourmet_j:20210122230722j:plain

 公孫樹です

f:id:gourmet_j:20210122230914j:plain

 絵馬を捧げて祈願しているのでしょう。少し斜めにして拝見すると「合格」と云う文字が目立ちます。やれるだけの努力をして、最後の頼みとする気持ちは十分に理解出来ます。皆さんの願いが叶うように「二礼二拍手一礼」と応援にわすかですがお賽銭を。
 絵馬です

f:id:gourmet_j:20210122231528j:plain

 松尾芭蕉の「笈の小文」に「猶(なお)見たし 花に明行(あけゆく) 神の顔」との句を残しています。

  「葛城(かづらき)の襲津彦(そつびこ)真弓(まゆみ)新木(あらき)にも頼めや君が我(わ)が名告(の)りけむ」と云う万葉歌碑もあります。本日はこれを紹介します。意味は「葛城(かつらぎ)の襲津彦(そつびこ)の持ち弓、その材の新木さながらにこの私を信じ切ってくださった上で、あなたは私の名を他人(ひと)にあかされたのでしょうか」と云うらしい。襲津彦は仁徳天皇の后になる磐之姫の父親です。
 歌碑

f:id:gourmet_j:20210122231135j:plain

 神社内を散策していると、小銭が数枚落ちていました。これを拾い神主に届けると、神主は「管理者」として拾い物を管理するか、又は交番に届けなければならないでしょう。多分落とし主が、交番に申し出るか神社へ落としたという申し出に来るはずも無い。と、愚僧の判断でこれを拾い賽銭箱へ投函しました。本日のお賽銭は私以降は、私の差し上げた○円にプラスして610円となります。それとも私は拾得物を我が物として賽銭箱へ入れた咎人となるのでしょうか。あまり深く考えない事にしました。

 人様の 落とした金(ふく)も 賽銭に <偐山頭火