河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

校門の写真に寄せて「日奈久の山頭火」

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 大正15年4月熊本県見取観音堂を、永平寺での修行と偽って出奔した山頭火は漂泊の旅に出ます。この頃に詠んだ「分け入っても分け入っても青い山」はあまりにも有名な俳句です。

 その後、九州各地や古里に近い山陽道を行乞し続け、昭和5年9月10日、熊本県日奈久を訪れて織屋(おりや)という木賃宿に3泊しました。
 日奈久温泉は、肥後細川藩の藩営温泉として開湯600年の歴史という。町の雰囲気から見ても古から栄えた温泉町であることは分かる。特に老舗旅館「金波楼」の設など素晴らしい。

 町の人々は、当時は気にもかけなかった山頭火を偲び、今日では写真のように彼の句を書いた板切れを旅館の塀や町の彼方此方に掲げて彼を偲んでいる。町おこしに利用していると言ってしまえばそれまでだが、本人にとって悪い気はしないだろう。また、薩摩街道から温泉街への入口には例によって少しとぼけた様子の山頭火が建っておられる。観光用の客寄せといってしまえばそれまでだが、彼のことを少しは知っているような我々信奉者(?)にとっても心が和む。

 今回、河内温泉大学の校門の写真として利用させてもらっているが、日奈久温泉山頭火の関係を少し端折って綴ってみました。

 写真:山頭火石像、金波楼の壁面に句が、町の彼方此方にも句が

 日奈久温泉にて
 ○日奈久温泉はよい 人も良い 町も良い

 河内温泉大学図書館に関連図書収蔵
 http://www.sidestaff.jp/tomita/