河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

山頭火と寅さん、早坂さんを迎えて俳句論議に花が咲く

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 「夢千代日記」「花へんろ」で知られる脚本家・作家の早坂暁(はやさかあきら)さんが八十八歳でお亡くなりになったと報道がありました。-1929年(昭4)に愛媛県松山市で生まれ、日大芸術学部演劇学科を卒業後、新聞社勤務などをへて、放送作家、脚本家となる-と略歴が紹介された記事が続く中で、生と死をテーマにした作品が多く、胎内被爆者の女性を主人公にして吉永小百合が主演したNHK「夢千代日記」シリーズのことにも触れた記事が目立ちました。

 夢千代と受けて湯村温泉から河内温泉大学への導入部と思われる方も多いでしょうが、ここでは元祖「種田山頭火」へとお話しを続けて行きたいと思います。

 風天―渥美清のうた(森英介著大空出版)によると彼の趣味の一つ(他の趣味は聞き及ばない)の俳句を通じて「尾崎放哉」や「種田山頭火」に大変感心を持ち、映像化に心が揺れたことがあった。その田所康雄(渥美清本名)の俳号が「風天」です。

 種田山頭火に関して、早坂脚本でドラマ化されるところまで行ったが、クランクイン一週間前に渥美清の固辞により、フランキー堺を代役として「山頭火 ~何んでこんなに淋しい風ふく~」NHK昭和61年(1986)としてドラマ化された。早坂と渥美の縁は、昭和27年大学生の早坂が政治運動で警察から逃げているところ浅草の銭湯で出合い、以来深い付き合いがあるという。コンビによる作品もかなりあって、お互いが支え合う関係だった。早坂が語るには渥美清は、喜劇と悲劇が存在するシェースクピアを演じられる数少ない役者と見ていた。ここで脚本家早坂と役者渥美清そして漂泊の俳人種田山頭火が繋がります。

 早坂作品のもう一つの代表作に、生まれ育った商家を舞台にして桃井かおりが出演したNHK「花へんろ」シリーズがあります。この作品で渥美清はナレーションを担当しています。あまり知られていない逸話に寅さんシリーズに四十九作の構想がありました。そのタイトルは「寅次郎花へんろ」と配役なども決まっていたとのことです。寅さんシリーズのマンネリ化に常に悩んでいた渥美清の一つの解が、「寅次郎花へんろ」であったと理解するのは偐山頭火の身勝手か。

 渥美清の辞世の句ともいわれる「お遍路が一列に行く虹の中」が、彼自身の巡礼へのこだわりがヒントになっているとすれば、四十九作で漂泊の俳人山頭火と役者渥美清が相まみえることとなったかも知れないと幻の作品が惜しまれます。そして、早坂にも辞世の句があるなら是非拝見してみたいと思う。今頃あの世では、山頭火も混じって「ここが良い」「いや悪い」と批評しあっているかもしれません。

 写真:四国巡礼一番霊山寺山頭火終焉の地一草庵松山市)、渥美清のうた帯封、湯ノ平温泉で出会っていたかも(新潮社:山頭火と歩くより)

 風
 風天と 風来坊主 早坂と  <偐山頭火

 *風天と寅次郎そして早坂暁については、拙稿河内温泉大学論文集その5「私の田所康雄と渥美清(風天)そして車寅次郎」(河内温泉大学図書館収蔵)を参照してください。