藤井寺市の「林地区」にある伴林氏神社(ともはやしのうじじんじゃ)は大伴家持氏のご先祖様が祭神です。友人でMTB仲間M君の奥様が巫女を勤めているとお聞きしていたので、今回同市内に所用があり序でに見学して来ました。
神社正面
大伴連の遠祖である天押日命(あめのおしひのみこと)他道臣命、高御産巣日神を奉ることから戦の神社として戦前は持ち上げられていたようです。
伴林氏神社創建の年代は詳らかではないとのことだが、「三代実録」に志紀群「林氏神」が官社に列せられたとあることから、古くから奉られていたようです。また、延喜式神名帳(西暦907年)に志紀郡伴林氏神社と記されていることから、創建は平安時代初期以前で由緒ある神社のようです。
萬葉ジャンボおみくじ
社務所前にデンと据え置かれているお神籤が超ジャンボサイズ、小学生の身の丈程あります。「萬葉」という文字と「ジャンボ」(神社HP)はバランス感覚的に良くないなと思いつつ、大伴(家持)所縁の神社と言うことで置かれているようです。おみくじの内容も家持関連で万葉集から選考された30首のうち1首が書かれており、歌の内容から相応しい人生案内が得られるという仕組み。私は毎年年末のジャンボ宝くじで運が落ちてばかりなので、お神籤は遠慮しました。
誰でも家持に
社務所脇と拝殿脇にある「顔出し看板」が誰でも家持の正体です。これも大伴氏関連と言うことで、置かれているのだろう。写真は寅が家持だったら・・・との連想です。もっとも、俳優田所康雄は「お遍路が一列に行く虹の中」で俳句のバイブルと呼ばれる新日本大歳時記の「春の巻」で選ばれている程の俳句好きでもありましたので、あまり顰蹙を買うことも無いでしょう。俳号は「風天」でした。
家持長歌碑
脇道に逸れました神社へ戻ります。2500坪もの広大な敷地の中に「海ゆかば」の家持の長歌碑もあります。犬飼先生揮毫ではではありません。
靖国神社移贈の手水舎
戦関連社という意図か、手水舎も靖国神社から贈られたものといいます。神武天皇東征をお手伝いした人達が奉られている関係でしょう。
永年この周辺でお仕事をしておりましたが、斯様な神社があると云うことは全く知りませんでした。教えてくれたM君の奥様に感謝をと社務所を覗きましが、奥様らしい方がおられず次回MTB行の折にM君に伝えることとします。
東征も 進路変更 南から <偐八咫烏>