河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

お湯休め「因幡国庁跡と家持歌碑さらに万葉歴史館を訪ねて」

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

 先月台風来襲による挫折で中断となった、因幡国庁と大伴家持に関する歴史館などの見学に訪れた。時間が経過する内に、もう一つの目標も見つかったが、初回は国庁と家持に絞ってご報告する。

 大伴家持天平宝字2年(758年)に因幡守として赴任。翌天平宝字3年(759年)1月に因幡国府で『万葉集』の最後の歌を詠む。数々の和歌の名手として有名だが「新しき年の始の初春の 今日降る雪のいや重け吉事(よごと)」私が一番気に入っている。私事や他人のことでも、良いことの知らせを聞くとこの歌が心に浮かぶ。

 家持は、因幡の前は越中高岡、以後は南九州や陸奥国と高級官僚としては波瀾万丈の人生を送っているが、彼の精神部分を支えたのが和歌で有り、万葉集の編纂であったのは誰の目から見ても間違いないだろう。

 先の、いや重け吉事も長官として職員の前で天皇の御代が良いことで続くようにと謡いながらも、自身や家族の幸せまでも願っているのは、文字間から間違いなく見えてきます。人間家持の魂の歌でありましょう。

 国庁跡は現在字名も「国府」にあって柱跡が復元されている。少し東の「国府町屋」には先の歌の歌碑が建っている。更に東には因幡万葉歴史館がある。展示内容は、家持を中心として当時の暮らしぶりを分かりやすく紹介している。

 写真:国庁跡、説明板、町屋の表示、家持歌碑、万葉歴史館、家持とか(知人でこの場所を紹介してくれた偐家持氏よりは色男)

 因幡国庁にて
 役人も 風の向きにか 西東   <偐山頭火