河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

京都の鴨川か奈良の佐保川か

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 日本の古都の代表と云えるるのが京都そして奈良です。京都にあっては御所、奈良にあっては平城宮跡。そして様々な格式高い神社仏閣それに伴う仏像や庭園など、常に比して並べられることが多いこの二つの町の顔の一つと云える川について考えながら、大仏鉄道記念公園を後に佐保川堤防沿いを輪行し下ってみました。

 京都を代表する川は鴨川でしょう。一方奈良には京都の鴨川に相当する川が無かったことが、今の奈良の立ち位置を現しているように思えます。京都にあっては、商業と産業を支える中心市街地の舟運の基盤となる鴨川や高瀬川のような機能を果たす動脈とも云える川が無かったのが、現状の奈良の立ち位置の原因の一つでは無いでしょうか。また、近年には疎水という運河も、京都の都市機能を益々向上させました。

 往古の自然な川の流れの佐保川は、今は中心市街地の少し外れを街を取り囲む様に流れています。平城宮が造営された当時とはその流に変化は無く、東大寺と平城宮の間の流れとしては絶好の位置にあったのでしょうが、いかんせん川幅も狭く物流機能としては少々貧弱な気もする。その佐保川流域には万葉歌碑が一定の間隔で建碑されていて雰囲気を醸し出しています。千鳥鳴く佐保の河門の清き瀬を馬うち渡し何時か通はむ(万葉集 巻4 715 大伴家持)は佐保川沿いの元料理店の門前に。月立ちてただ三日月の眉根掻き日長く恋ひし君に逢へるかも(万葉集 巻6 993 大伴坂上郎女万葉集を代表する女性歌人の一人である大伴坂上郎女とその甥大伴家持の歌碑を過ぎた辺りで関西線の踏切を渡りますと、視野が広がり平城宮が見渡せます。川は更に西進して大和郡山市との境で秋篠川を併せて大和川に合流します。奈良市内部の五キロに及ぶ桜並木は、江戸時代の代官が定植に努めてその原形を作ったとも云われます。

 近年奈良は通過観光地に過ぎない、何か手立てをと喧しいが奈良はなら、京都とは違うと割り切れば・・・と外野から云うのもまた騒々しいと片付けられそうであります。いっそう、佐保川の流れにでも問うてみるのも良いのかもしれません。

 写真:大伴家持歌碑、川の流れ、朱雀門遣唐使船とか(奈良からは出港しません)

 都構想
 東京が 大阪がと云う 都構想 都は京都と 奈良が似合う <都競争>