河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

神武さん初戦で勝利して生駒山を超えたとしたら

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 雨の昨日は久しぶりに大阪市内の「不動の湯」でした。近隣の客が減り車や自転車客が増えたようで、雨の日は予想通り客もまばらです。利用するには良いことなのですが、立ち位置を代えると経営にとっては・・・と思われます。お馴染みの方も減ってきたようで私にしては新顔が多い、逆もそう思っているでしょう。

 さて、歴史に「たら・れば」は禁物と云われていますが、今回もその「たら」で想像すると非常に面白い碑を先日見物してきました。河内を貫通して走る鉄路は近鉄線とJR関西線・片町線。近年の開通を見ると地下鉄中央線もあります。近鉄線は名古屋・伊勢へ向かう大阪線、奈良へ向かう奈良線に布施で分岐しています。各路線とも都市間交通という面と参詣線という両面を持っています。その奈良線の生駒トンネルを超えると「富雄駅」があります。富雄川とクロスしているから命名された。と簡単に考えられますがそうでも無いらしい。1941年9月から53年4月の間「鵄邑駅(とびのむらえき)」と呼ばれていました。当時の時代背景が大きく影響していたのですが、その裏には古代神話がひそんでいました。今回はそんな神話の世界のお話しです。

 例によって前置きが長くなりました。初代天皇と云われる神武天皇(磐余彦尊)は、神話によると日向から東征し大和(奈良)へ入り、長髄彦(ながすねひこ)の軍と対戦して勝利し、大和地方を平定。紀元前660年(皇紀元年)大和の橿原宮で五十二歳で即位して第一代天皇となりました。長髄彦との対戦に苦戦する神武天皇の前に、突如現れてピンチを救ったのが金色の鵄です。戦いを重ねても、なかなか勝利を手にすることができず、苦しむ神武天皇。その時、急に空が暗くなり雹が降りだし、どこからともなく鵄が飛来し神武天皇の弓先にとまります。その姿は黄金に光り輝き、まるで稲妻のごとく、長髄彦の軍は皆幻惑されてしまい、戦闘不能になり敗戦しました。旧日本軍の「金鵄勲章」の原形ですね。

 このように最終決戦に勝利し即位しました。当初、神武天皇は大阪湾から上陸して竜田越えで大和に入ろうとします。しかし、竜田越では狭路に先を阻まれ生駒山を直接越えて初戦に挑みましたが、孔舎衛坂(くさゑのさか)辺りで長髄彦軍の反撃に遭い敗退します。生駒山の西麓、東大阪市の日下(くさか)として今も地名が伝わります。結局紀伊半島を大きく迂回して皆さんご存じのようなルートを辿ります。

 そこで今回の「たら」です。近鉄奈良線富雄駅の北3キロ付近の富雄川から東へ少し入った所に「神武天皇聖蹟鵄邑顕彰之地」という碑が建っています。位置関係からすると、長髄彦軍勢の背後に回ったことになります。この辺りはかつて鵄邑(とびのむら)と呼ばれていましたが、次第に訛り、鵄邑から鳥見、登美、富雄となったとされています。もし、神武天皇が初戦で勝ち、金鵄が石切辺りで舞い降りてきていたら。石切駅富雄駅に、近くを流れる恩地川が富雄川と呼ばれているかも知れない・・・というお話しであります。

 写真:神武天皇聖蹟鵄邑顕彰之地の碑二題、碑への入り口、神話が繰り広げられた生駒山南北のパノラマ

 援軍
 八咫烏 鵄も舞い降り 国造り <偐鷺>