コロナウイルスによる外出自粛でありますが、要は人との接触を避けるという目的であります。ならば、完全非接触ではと表題の奈良北部と京都を結ぶ古の道をサイクリング。平城宮で雅楽を奏し、舞を舞った女官たちがこの街道沿いに多く住まいしたため、この名前が付いたという街道沿いサイクリング散策であります。但し、雨対策が非武装ゆえ途中撤退となりましたが、これも洒落とお読みいただけたら幸甚です。
歌姫越え頂上付近の狭い道(赤⇧で注意書き)
起点は奈良北部サイクリングではお馴染みの、平城宮跡にある駐車場。ここで、車からMTBを降ろして輪行開始です。
完全非接触と云うことで昼食持参、石焼き芋、バナナ、チョコ等ですが輪行はこの程度で充分です。食事前には持参の次亜塩素酸水で手の消毒も。
先ずは国道24号で北上して、木津川辺りから歌姫越えを南下というプラン。平城宮跡東端の東院庭園に立ち寄ります。石が敷き詰められた池は清らかな水をたたえています。称徳天皇が愛した庭園ですが、園内は保守職員のみで閑散としています。勿論入場できませんので外観のみ。
鳳凰も寂しげです
塀から
電柵があります何除けでしょうか
東院庭園の東に空地があります。白洲正子「十一面観音巡礼」(新潮社)の第3章「幻の寺」という項で、「神社(宇奈多理神社)のそばの田圃の中に、動かすと祟りがあるという大きな石が遺っているが、もしかすると、お堂はそこにあったのではないか。」と記載されている「石」と思われる石が見えます。
宇奈多理神社
田圃の中の石
動かせないという「石」近くの標識には辺りが、法華寺旧境内・阿弥陀浄土院跡だという説明書きと石柱があります。数多の古墳がそうであったように寺社仏閣、特にお寺は明治の「廃仏毀釈」での苦難なと、その後の戦争による食糧増産のかけ声で農地に取り込まれたと云う。この寺もその結果なんでしょうか。石は不動で経緯を見ていたのでしょうが、口も動かしません。
説明書き
石柱他
その本家と云うべき、光明皇后発願と云う法華寺を訪問。これも完全非接触と云うことで、門前参拝のみ。
総国分尼寺法華寺
法華寺から東に少し進む次の交差点で左に曲がると「海龍王寺」とその鎮守の「春日社」です。この寺も光明皇后の創建と云われ、遣唐使玄昉が初代住職で帰路海難に遭った際に海龍王経を唱え、何とか帰国出来たと云う事から旅の安全を祈願する人々の信仰を集める。
山門
参道脇から
塀の漆喰が剥がれているがこれも趣か
海龍王寺の鎮守社は寺の南に位置する
寺と同じく長い参道が印象的です
寺の前の道を登り切ると「航空自衛隊奈良基地」があります。航空自衛隊の幹部養成が主な業務で、幹部自衛官としての資質を養うとともに、初級幹部として職務を遂行するのに必要な知識及び技能を修得させるための教育訓練を行っています・・・と学校説明にあります。
校門標識は法華寺が設置したようです
基地の空撮写真は国有財産の借り物
標識説明によると基地は、法華寺の旧寺領の一部にあるようで、本家法華寺の規模の大きさを知らされます。基地は基本非公開で門前の飛行機の近くにも寄れないと、門衛では無く民間のガードマンに聞かされます。自衛隊の門番がガードマンとは時代ですね。写真はファントムの初代機とか、飛行場の無い奈良にはもう一箇所飛行機が展示保存されています。奈良高専ですがこれはいずれ紹介します。
国道24号バイパスから木津へと向かう予定でしたが、バイパスに出た辺りで降雨です。ワイパーも無し雨具も無しの非武装MTB行ではこの場合「引き返す」のが順当な判断。今の内閣のようにフラフラしていると、弁慶ではありませんが立ち往生となります。
ならやま大通り付近ではツツジが開花の準備
平城山駅近くでならやま大通りへ出て、西へ進路をとります。同じ引き返すとしても表題の「歌姫越え」は踏破したいとの算段です。ならやま大通りと県道751号交差点で左折れ、これで歌姫越えになります。北から走ると歩道を備えた快適な道です。
やがて道は古道に
これが古道と思うのもつかの間、添御縣坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)を望む辺りになると急傾斜とカーブが続く狭隘な道路になります。
添御縣坐神社
歌姫越えを突き進むと平城宮跡大極殿辺り、その直前で右折したら見えて来たのが「瓢箪山古墳」。河内にも同じ瓢箪山という地名と稲荷そして古墳がありますが、前方後円墳は見ようでは瓢箪の縦切りにも見えます。しかし、佐紀盾列古墳群のそれは相当破壊されて瓢箪型では無いようです。
瓢箪山古墳
同説明
さらに進むと、見えて来ましたのがみそ煎餅の横田福栄堂さん。今回も前例と同じく「煎餅」と「くず餅」を購入。非接触の禁を破るかと思いきや、同店のレジは大きな透明スクリーンで被われていて非接触が保てました。
横田福栄堂
真向かいの野菜店は「完全無人型」
再び平城宮跡に戻り大極殿を西南正面から眺めつつ起点へ戻ります。走行距離としては15キロ程度でしたが、事前に所用で作業をしていましたので愚僧としては適当な負荷と成りました。
コロナ騒動で奈良も観光客が減ったと聞いております。しかし、平時であっても通過客が多いと嘆いておられましたが、この騒動で一番打撃を受けているのがインバウンド等を当てにした過剰なホテル等の投資元。その点では、被害(?)は大阪・京都と比べると少ないでしょう。
千余年も前から栄えた奈良の都です、どっしりと腰を据えて百年いや五百年先のことを思案して現下の騒動が納まるのを待つのだ。と、通り雨が過ぎ去った東大寺方向から大仏様のお声が聞こえてきました。
遠くに若草山や東大寺が望めます