河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

まぼろしの「ペリカンの家」平城宮周辺ハイキングをMTBで行く

 

 次の日曜日に催行予定でありました喫茶「ペリカンの家」主催の奈良平城宮周辺をハイキングするというペリカンウオーク、コロナウイルス対策とかで中止(延期)となりある意味ではまぼろしとなりました。これまで二回にわたってサイクリング行をされ、縁あってそれぞれに参加させていただいておりました。今回も参加予定でしたが、蔓延するウイルス対策とあっては致し方ありません。そこで、昨日奈良市西部で所用がありそれを片付けてから予定コースを「単独」サイクリングして来ました、その記であります。
 ペリカンウオーク予定地図

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 予定では西大寺駅を起終点となっていますが、MTBによる単独行ですので平城宮跡文化庁設営の国営無料駐車場を起終点と変更です。事前の所用で相当足腰を酷使しておりますので、コース短縮の意味でもあります。1300年前なら我々庶民は立ち入ることさえ出来なかった大極殿脇。いわば北面の武士の様なガードマンに「五時までにお帰りを・・・」と見送られての出発です。
 寅のMTB行程(赤星印)

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 ペリカンウオークの地図は頭にありますが、愚僧のMTB行は起終点がはっきりしているだけで、途中はハチャメチャなことが多いです。故に同道者には受けが悪いのは分かっているのですが、足の向くまま気の向くまま・・・が一番のお気に入り、時には思わぬ収穫があって、同道者に喜ばれることもあります。一つの成功は百の失敗からと言いますが、愚僧の場合は千の失敗からかも知れません。
 道標

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 さて、先ず北へ向かうことにしました。本来なら西へと進路を取る所ですが、東西は車の量が多いので北へ。最初に目に入ったのが「葛木神社」です。拝殿横の掲額には御所市の葛木神社神主の「仁徳帝の妻磐之姫が御所葛城出身であり、磐之姫のお墓がこの地にある等々の縁が・・・」という謂われが書かれています。記紀等によると、仁徳帝は聖帝とも言われますが、女好きでもありました。磐之姫の留守の間に他の女を引き入れては寵愛・・・これを聞いた磐之姫が悋気を起こし京田辺に引きこもってしまいます。帝は何度も侘びを入れますが、磐之姫はここで憤死します。磐之姫のお墓は葛木神社の東にあって、故郷葛城山・御所を遠く見通せる場所です。
 葛木神社

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 掲額文

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 八人衆とか(守人達集団でしょうか)

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 磐之姫古墳(ストック写真です)

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 次に目差すのが佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)の日葉酢媛(ひはすひめ)と成務天応陵古墳のあいだの小道。まことに趣のある古道で、これらを含めた地域を陵墓域と宮内庁は主張して塀を張り巡らせることも出来たのにとも思います。しかし、そのようなことに感心が向きだした江戸末期から明治初期時代には天皇の権威無く、多くは田圃に開墾されていたのでしょう。
 日葉酢媛陵古墳と掘

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 古墳の制札

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 そんなことを考えているとチェーンソーの騒音が聞こえてきます。先を見ると成務天皇陵古墳の方向に作業員の影です。近づくと陵の前に植栽されている松が枯れかけていて、枝打ちをしている。その奥でも土工が石段の整備をしておられる。御陵の整備と言えば、大昔に仁徳天皇陵の鳥居取り替え工事に立ち会ったことがあって以来です。そう、出会えることでは無いでしょう。
 松の枝打ち

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 石段の整備

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 コロナウイルスの関係でしょうか、行き場の無さそうな母子連れによく出会いました。平城宮跡でも弁当を広げる子ども連れを多く見ました、MTB行中も出会いますが、子ども達に注意して進みましょう。
 近鉄京都線を跨ぎ秋篠川沿いを押熊方面目差して走りますと、神功皇后陵古墳にでます。神功皇后仲哀天皇后)はその子が応神天皇になり、次代が仁徳天皇です。先の磐之姫から見ますと大婆さんですね。仲良くかどうかは我知らずですが、並んで葬られています。神功皇后は我が子(仁徳)を天皇にするため先々代の景行天皇の曽孫「オシクマ」(応神天皇の異母兄にもあたる)を殺しています。歴史にもしもはあり得ませんが、オシクマが勝っていたら、この古墳の配置はどうなっていたことでしょう。
 神功皇后陵古墳

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 押熊神社のオシクマのお墓

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 押熊神社から秋篠川を下りますと秋篠寺に。秋の篠の寺という叙情的な寺の名の中にも、神功皇后のオシクマ殺しに似たおぞましい歴史があるというのが白洲正子氏の著書「十一面観音巡礼 秋篠のあたり」に詳しい。一例を示すと
早良親王崇道天皇は、藤原種継暗殺事件に連座して廃され淡路へ配流される途中憤死している。斯様な怨霊を持つ一人として秋篠寺南門前の寺にまつわる怨霊を鎮めるために創建された「八所御霊神社」に奉られている八人に含まれることから推測出来るとしています。
 御霊神社

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 会津八一歌碑 文字栄えがしませんね 
あきしの のみてらをいでて かへりみる  いこまがたけに ひはおちむとす

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 秋篠寺南門の支え木は接ぎ木細工のよう  

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 大工さんのご苦労が見てとれます。

 南門(扉が無い)

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 秋篠寺を出たら奈良競輪場です。ここは、開催日でないのかコロナ対策なのかがらーんとしています。ローカル色豊かな競輪場としてお気に入りですが、場外の酒店も店を閉めています。
 小林旭が、
 あの娘をペットに したくって ニッサンするのはパッカード
 ***
 ここらで止(と)めてもいいコロナ
 と競輪ファンから嘆きの歌が聞こえてきそうです。
 競輪場駐車場

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 MTB行もフィニッシュ(止め)になってきました。佐紀盾列古墳群に近づくと称徳天皇陵です。
 称徳天皇

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 本日のMTB行の最大の目的だったのは「みそせんべい」なる土産物でした。ペリカンの家サイクリングの一回目では橿原市「さなぶり餅」二回目では「鹿せんべいイスア」をご紹介してそれぞれ好評でした。今回も・・・とのリクエストの返答がみそせんべいなる横田福栄堂さんです。ただし、同店は日曜日は営業されていません、主要な土産物屋には置いていると言うことでした。ペリカンさんご一行がウオークに行かれ所望される場合は、事前のリサーチで販売所の確認が必要でしょう。
 横田福栄堂

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 みそせんべいとくず餅

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 みそせんべいとパッケージです 

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 素朴な味、味噌が入っていると言われたらそうかなと言う程度です。法隆寺パッケージとかもあり、並松通りの店で売っているそうです。

 店内では他メーカーの商品も並んでします

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 店ではみそせんべいを試食、味噌を潤んでいるかと思っていましたら、練り込んでいるとか。素朴な味、これなら孫にも与えられると人数分を購入。愚僧はくず餅を帰宅後食べましたが、さすがに大和のくず餅は歯応えがしっかりした磐之姫タイプでした。そう言えば、なさぶり餅の歯応えに似たりです。
 路傍の花

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 さらに北面の武士が守る駐車場へと東へ走ると左に佐紀神社、右に大極殿が見えて来たら終点です。立派な大極殿での思い付き、煎餅に大極殿とか焼き印でも作ればとアドバイスと思うも時既に遅しでした。福栄堂さんもその程度は既に検討されているでしょう。
  佐紀神社

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 大極殿

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 五輪まで  何とかなるさと  五輪終   

 治るよな  頃なコロナと  長引かす  子供も飽きて  親も干からび