河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

この様な「母の日」もありかな

 5月第2日曜日は母の日でした。日頃の母の苦労をねぎらい、母への感謝を現す日とされています。世界各国に似たような習慣がありますが、日本ではアメリカの記念日に倣い、この日と定められています。赤や白のカーネーションの花を子どもから贈ることとされて、ネット上でも花屋さんの宣伝や勧誘メールが飛び交っています。
 勢州からの花

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 我が家では母が二人おります。一人は我が母、もう一人は我が愚妻で、愚女・愚息の母です。我が母は、数年前から介護施設で厄介になっております。いわゆる老健施設で、住居とデイサービス併設。愚息と8日には訪問して、お祝いを。但し、誰が訪問しているかは認識できないようです。
 Nちゃんからの母の日(お祖母ちゃんの日)プレゼント コメントは以下の見舞です

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 母の日の主役であるはずの愚妻は、今月初日に右大腿骨を骨折して7日に手術を受け現在入院中です。数年前から患っている「心房細動」の発作で玄関先で倒れ骨折、救急搬送したものの祝祭日とコロナ禍の影響で6日間処置されずに7日目に、人工骨の換置手術で翌日からリハビリに入っていました。この間もコロナ禍の影響で、術当日以外は家族の面会もままならない状態です。中堅規模の病院ですが、コロナ患者を出さないとの姿勢は厳格です。
 病室から自宅方向を望む

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 その母に勢州の娘から届いたプレゼントが冒頭の花です。この時は娘にはお母さんが入院していることは伏せていました。聞けば見舞に行きたい・・・移動は自粛・・・の板挟みになることは目に見えていますので。「届いたよ、母さん喜んでいる」のつもりでした。
 そこへ、母の様態が急変し9日早朝に帰らぬ人となりました。父の時は30年ほど前、自宅で延べ三日間かけて葬儀を行ったものですが、時代の変化、99歳の母の人間関係がほぼ消滅している、そして今回のコロナ禍という状況ですので、完全家族葬といたしました。私の姉妹とその連れ合い、府内にいる孫や曽孫までとした13人が集う葬儀となりました。それでも曽孫がたまたま二組三人が揃い楽しい新世代の「人間関係」も紡いで会場を和やかにしてくれました。
  祭壇 

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 幸か不幸か式場は愚妻の入院している病院の少し東側、同席できないとしても参列しているようなものですので、総勢は14人となります。血の繋がりのある者そして親しい姻戚者のみが集う、良いお葬式兼母の日に出来たと思っています。カーネーションはもとより、百合などの花に被われた母は旅立っていきました。
 先に改修を終えた墓石に墨で俗名を刻みます

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 今月から男やもめ暮らしの愚僧、もとよりだらしない性格で家内も大混雑、如何にしてこの大問題に立ち向かおうかと思案していました。そこへ、愚息と嫁さんそして孫が泊まり込みでお手伝いいただき、何とか喪主を装うことが出来ました。特にお嫁さんには感謝いたしております。だって、式服のありかも分からない義父ですので。
 
 母の日に 花でおおわれ 船出かな   <偐山頭火
 子の世話で 親の世話する 振りが出来 <偐山頭火