先日我が生家とそれに続く借家を取り壊しました。課程については随時ご紹介して折りましたが、この程全工程が無事終了して廃材で記念品の製作に取りかかりましたので纏めとしたいと思います。生家は約70年前に親爺が建てたもので、その後二階を継ぎ足しておりました。その二階の大屋根には父と相談してある仕掛けをしておりました。
その仕掛けです(←に上下二本です)
大庄屋や商家は火災に遭っても元通り再建できるように、心柱の下に再建相当の金子を埋めて備えをしたそうです。何軒か江戸時代から続く大店を存じていまして唆して掘りませんか・・・と振ったことがありますが何方も同意を得ることは出来ませんでした。我が家の親爺の考えた仕掛けとは、大金を心柱の下に埋めるではなく屋根の上です。台風でご近所の瓦が飛ぶ様を何回か見ていて、飛ばない工夫と云うことで全ての瓦を銅線で結び大屋根の芯に通した銅棒に結うという仕掛けです。当時は家族が皆知っていたと思いますが、未だに覚えているのは私のみとなった様です。事情があって生家は姉妹が持ち主となりましたが、親爺の考えた事は既に頭に無いようで最終解体業者に委ねられた(家がゴミとなった)時に業者に頼んで取り出して貰いました。
文鎮のサイズ程度に切り圧をかけて孫達に残そうと思っています
土地屋敷や家財は全て姉妹の物となった以上あれこれという権利は無いのですが、ゴミとなった物を拾うのは可罰的違法性は無いと自身の判断です。我が孫達にとっては戸籍を見る時くらいしか存在を知らない親爺(曾祖父)ですので、金銀とは云えない陳腐な銅の文鎮ですが銘でも打って残してやれば戸籍上の曾祖父の存在の証くらいにはなる事でしょう。
孫もコボチの手伝いに参加しました
手前の借家には我が人生の師と仰ぐ智麻呂氏が新婚当時住まいされていました。牧師館に移る少しの間だったのでしょう。遡れば、若草読書会の縁もこの頃が始まりだったのです。お妃恒郎女との新婚当時でお二人ともお若くてプリンプリンのカップルでした。(今も)
智麻呂カップル邸一番手前
一番奥の二階には、現在千葉県に在住の千葉邦麻呂氏とお妃の邦麻呂夫人も新婚当時お住まいでした。両氏とは遠く離れて余程の機会でないと逢えなくなり寂しい限りです。
邦麻呂カップル邸一番奥
我が家の住まいを語るにしても、「若草同人」カップル二組、四人も登場されます。カップルとなれなかった人達とも夜を明かして語ったり飲んだり・・・という思いで深き生家が突然無くなってしまうと云うのは、儚さとは云いすぎかと思いますが斯様な気持ちにさせられます。でも、素晴らしい文鎮を作り孫達にプレゼント出来たら、それはそれで形は違えども思い出が残せるかと勝手に思っています。
見事さっぱりとしました