河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

思わぬ痞えがありました

 「一つの痞えがとれました」の続きの様な「痞え」がありました。その友はGさんと云い愚僧より5歳上です。愚僧の元職域の小さな鉄工所の社長さんでしたが、データベースを趣味となさっていて、地元でパソコン同好会を結成したときに会長に就任していただきました。理由は欲が無くどなたにも平等に接していただけるという点で、愚僧とは真逆なお人柄故です。
 今年早々体調に異変があり、総合病院を受診すると末期癌で手の施しようが無く、点滴用の管を血管に通して自宅療養を続けてこられたが、家族の願いむなしく4月の当初に亡くなったと連絡がありました。奥様によると知人友人が少なく病床で「愚僧との思い出を語っていた」との事でありました。
 ベトナム旅行

 愚僧が足に病を得た頃とお付き合いが始まったのが同時期で、「行こう、荷物なんか俺が持ってやる」とベトナムへ誘われたときの写真が水路を行く小舟です。かつてはホーチミンルートとも呼ばれ、ベトナム解放戦線への補給路だったそうです。この帰り関西空港で、愚僧が手ぶらで通関しようとしたら「おかしい」と思われたのでしょう、荷物が来るまで待ちぼうけ。すると、Gさん手とカートに抱えんばかりの荷物を持って現れました。多分職員は腹では笑っていたでしょう。こんな珍道中をシンガポールでも繰り返していました。
 ヨットハーバーで

 彼のヨット熱に火を付けたのは愚僧がハーバーへ連れて行きだしたからです。すぐに買おうよ・・・と言いかけてきましたが、この様子ならほっておいても買うなと見た愚僧は勝手に買いなはれとはねつけると、見事買ってくれました。ヨットは、一人で遊ぶのが良いという人も希にいますが、ほとんどは人を乗せて船長になりたい人が多いです。彼も後者で買わせた私は女性乗客を集めるのが主な仕事です。本船は堺に係留していましたので、浜寺の花火や神戸の海上花火などは乗客を審査して選ばねばならない程評判でした。
 夕景の大坂湾 気分はタイタニック

 特に審査に選ばれた女性は「帆先」で映画のシーンの真似が出来る特権も(ウソ誰でも順番です)ついていました。市域での祭りにパソコンを展示実演したり、定期的な市民教室を開催したり。3-40年間の思い出は尽きません。そんな事を奥様に語りながら今月9日に亡くなったと連絡が入り、遅れてお悔やみに行ってきました。後年開業医向けのパソコンシステムとメンテナンスの仕事もお世話させていただいた後は鉄工所もたたまれていました。亡くなる直前も納品があると病をおして行っておられたようです。こんな人柄がお仕事に結びついて、愚僧も紹介した医者から感謝されていました。

 待ってろよ 三途の川の ハーバーで <偐ヨットマン