河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

歌姫街道で転ける

 京都木津から平城宮に至る古道の通称で、都の雅楽を奏でたり舞を舞った女官達の家があった場所と通った道という事になっている。あやめ池で仕事を終えた愚僧は、車を平城宮跡の駐車場に入れ、バイクを下ろしてここら辺りを周回することとしました。様々な痞えを飲み込んだ喉に古都の香りでも入れて休息としようと云うこと。数日前に診察を受けた股関節の執刀医からも、持久力を付けなさいとアドバイスを受けていたこともあります。しかし、思わぬ展開にご期待を・・・。
 磐之姫古墳で亀と戯れ

 平城宮跡にはあまり用がない昼飯にパンと飲料を飲み、トイレを借りて出発です。術後二度目ですが前回は秋篠寺までで、東北へ向かうのは久しぶりです。佐紀盾列古墳群と呼ばれている古墳群の中でも壮大です。水上池と呼ばれる満々と水をたたえた濠等の中に墳丘が浮かぶかのような古墳の姿は、壮大な景観をなしています。拝殿脇には水芭蕉ですか青い花を咲かせて、それをなまめかしいスッポンが首を伸ばして眺めている。癒やされますね。
 古墳より南を望む 自転車が戯れています

 遙か南やや西には磐之姫の故郷と云われる、葛城山系を望めます。磐之姫古墳を通り過ぎヒシャゲ古墳外堤埴輪列復元云々と書かれた小道を走ると竹藪が、何年か前に偐家持氏と同じような場所で竹林にタケノコ泥棒が出没していたのを思い出します。

 もはや竹ですね

 写真では既に立派な竹に成長しているのですが、今年は少し季節が早いのか泥棒さんはおられません。古墳群の中に立派な民家や廃屋があり、文化庁の管理の不行き届きが感じられます。愚僧も羽曳野の応神陵の脇に土地を持っていましたが、大工に云わせると「土日に作業をすれば終わりです・・・」と、それも今になれば売るに売れない物件となっていますが、この辺りもそんな気配がしますね。
 どうも道に迷った「左京の森」

 24号バイパスから西方向へ坂道を上がると「左京の森」という庭園に出ます。区画整理の残地処理施設のような小公園ですが、無料でどうぞ書かれていて初見ですので、そうですかと入ることに。写真の公園と管理等プラストイレだけです。自販機も無いのでペットボトルの水分を飲み干してゴミ箱へ捨てる、これが大きな間違いで水道で水を足しておくべきでした。ここから暫く都市計画が完璧な町が続き、コンビニどころか自販機も無いので水分補給に窮することになりました。この施設から平城左京線が始まるようで、途中平城二号線となり平城朱雀線にクロスするまで、バイクを押して歩くことになります。医者の言う持久力アップですね。平城二号線を進むと高の原に出ますので、土地勘は多少なりとも生きていたことになります。平城二号線を南下すると暫くは下りで走行することが出来ます、しかし歌姫街道となる木津平城線に出ると平城宮跡のレベルまではきつい登りが続きます。
 添御県坐神社

 添御県坐神社(そえのみあがたにいますじんじゃ)までただバイクを押して上がるだけですが、表題にあるように転けました。しかも三回も、しかし転けたというより道幅が狭くて危機回避のため道ばたに倒れたという方が正しいのでしょうが、股関節置換術後1年ではこの程度と思い知らされました。しかし、何とか無事に土地勘がしっかり戻る位置まで戻ることが出来ました。山内のシャガ(グーグルレンズによると)が、頑張ったねと褒めてくれているように見えました。
 シャガでしょうか

 さて、ここからは一本道です。やっと見つけたコンビニで炭酸水を購入して水分補給します。店内では休息できないとのことで、平城宮まで走ることにしましょう。振り出しに戻るまでに携帯電話に付けた万歩計は6千歩を越えています。新記録達成ですがその結果節々が痛いし足は痙ってきました。少々長い持久力強化でしたが達成感はありました。まあ、しれた達成感ですが。オマケとして写真の車と並びましたが、最近アルトSクラスにへこたれておりまして、手頃な車を探していましたが検討候補の一つに加えることとしました。大きさが手頃で乗り降りが便利なように見えます。

 ラスト一台にしますか

 今は右脇にあるアルトSクラス一台ですので、近くは良いとしても長距離は少々負担が大きいです。数台候補に挙がっていましたが、この日見たこれが気に入り自動車屋さんに検討させることにしましょう。多分終の車購入となるのだと思いますが、この程度で十分だと思っています。もう運転時のバックに気を遣うことに疲れました。こんな結果も出た、良い半日サイクリングでした。

 見送った 友と併走 古都の道  <偐山頭火