河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

ニンニク定植と木道設置工事

 ニンニクと云えば韓国・中国料理の具材と云う狭い了見で長年生きてきた愚僧です。ニンニクを人肉などと表現する漫画(?)等によって余計に変な感情が植え付けられてきました。そのようなニンニクとの偏見の様な感情のもつれを破ったのが眠眠の「コーテル イーガー」と客のオーダーを調理人に伝える叫ぶような声。そして現れるのが薄皮に餡を詰めた焼き餃子。そこに仕込まれた生ニンニクの香ばしい味と香り。河内小阪・鶴橋・京橋そして梅田と各眠眠を食べ歩いたが、どこでも同じ味と壁の落書き。古い学生文化の一面を思い出されます。
 中国産の種球は安いが差がありすぎて怖い この品種は国産です

 国産でも特に高価なのが青森産です やっと芽が出てきました

 古代ローマ時代やエジプトでも石工のスタミナ、兵士のエネルギー源として多食されていたと云うニンニクが日本に入ってきたのは、第10代崇神天皇の頃だと云われています。日本で最初の戸籍を調べたり、課役を科したことで実在した初めての天皇(御肇国天皇 はつくにしらすすめらみこと)と言われた人。即位65年、任那から朝貢があったらしいのでその一つがニンニクであったのかも知れません。

 崇神天皇綾 (天理市柳本町

 因みに子が第11代垂仁天皇で、彼は不老長寿の香菓(かぐのみ)(橘)を田道間守(たじまもり)にもとめさせたらしい、親子揃って長寿願望が強かったのでしょう。
 垂仁天皇陵(奈良市 脇に田道間守の墓(島)がある

 進む農地改良 右が日本種のニンニクです

 愚僧のクラインガルテンは畝をパーティーションで囲い、固定畝としています。見かけもこの方が良く管理しなくてもいい畝間は残り物の板などを敷き詰めていました。この程近隣で大工仕事が始まり、相談を持ちかけたら(ほぼ)無料でご覧の木道に似た敷板を設えてくれました。
 敷板の厚みは25㎜ 撥水加工もしてあるとか

 この木道のおかげで畝間で作業しても靴の底に土がへばりつくこと無くすみます。公道との間にガレージがあって従前は、そのたびに水で土を洗い流しておりましたので大助かりです。大工曰く「もう少し改良する」との事ですが愚僧にしたらこれでも十分ですがありがたく好意に甘えます。
 
 ニンニクは 大和人が 税の始まり  <偐山頭火