河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

種田山頭火と河本緑石そして宮沢賢治

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 表題については、下記のページ他で何度もご紹介していますが、先日の日経新聞でも寄稿記事として取り上げられていましたので再度ご紹介します。

 記事によりますと山頭火と緑石を結びつけるのは、当時自由律句「層雲」を主宰していた荻原井泉水。中学校時代だったようです、その後緑石は盛岡高等農業学校へ進学、ここで宮沢賢治と出会い生涯の友となる。

 多感な学生時代を送った緑石は郷里の鳥取県立農学校の教師に、賢治は作家の道を歩むも、緑石は芸術の道忘れがたく、絵画・文学音楽などの芸術活動を進める「砂丘社」に参加、層雲にも投稿して山頭火などとも知り合う。

 その後の悲劇的な結末は、リンクでご覧lください

 写真:緑石の早すぎる死に涙したという山頭火、日経スクラップ

 

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