先の記事で紹介した、太安萬侶の分骨予定の「参り墓」と伝承されている墳丘を探してきました。
分骨の奈良新聞記事<古事記を完成させた奈良時代の官人、太安万侶を祭る田原本町多の多神社(多忠記宮司)が、奈良市内で発見された遺骨の一部を譲り受け、地元に「墓」を造ることになった。安万侶の墓と伝承されてきた円墳を整備して納骨する。今年は古事記完成1300年にあたり、命日の7月6日に納骨式を営む>
先日の銀輪行の時にも真横を通過していたのですが、気付かずに通っていました。多神社とはあまりにもかけ離れているので、想像もつきませんでした。今神社ではここにそれらしい構築物か柵をしようと浄財を集めているらしいが、受付等が見つからなかったので又にすることにします。
写真では場所の特定が難しいですが、寺川を遡り橿原市に入っての分流点の脇近鉄線の横です。
写真:墳丘(赤矢印)