河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

電動対人力「唐古・鍵遺跡から新沢千塚古墳公園の戦」

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 年初来挑戦状をたたきつけられていた「電動MTB」との一戦をまみえることとしました。戦場は奈良盆地の中部、表題の田原本「唐古遺跡」から橿原「新沢千塚古墳群公園」まで。どちらも、最近人の手が入り修景と設備投資が行われ、従前とは全く違った趣になった。後述するように、変わりすぎたと嘆く地元の声もあるようだが、我々観光客にとっては可とする所も多いと思います。

 さて、その戦の道中をご紹介しましょう。敵をピックアップして着いたのが何時もの「法輪寺前駐車場」です。ここで、電動と我がcannondale号を下ろします。少し法隆寺方向へ南下して「やすむら農園」で苺「明日香ルビー」を購入、この苺を斑鳩から明日香へ運び戴こうというのが趣向です。やすむら農園主は、少々嫌味な輪行ですなと。明日香ルビーは明日香でも売っていますから・・・。

 大和川を渡河する前に、天理軽便鉄道の軌道敷を見学。乗り物好きな敵はいたく感心してくれました。大和川を渡河して、廣瀬神社へ向かいます。いつ遭遇されたのか、同輩のバイカーが私に着いてきなさいと誘導してくれます。しかし、彼は馬見丘公園へチューリップを見に行くとのこと方向がズレるので先に譲り見送り、我々は廣瀬神社に到着。金属加工業もしていた敵は、神殿前に鎮座する大砲が気に掛かる様子。当時の製品としてはよく出来ている、しかしこの弾はどうしても入らんと例の砲弾の前で呟きます。

 更に西を目指します、川西町の「糸井神社」から京奈和道路をくぐり国道24号に出ると「唐古」交差点。ここから少し南へ下るとこの程「弥生の森」等が整備された唐古・鍵遺跡が見えて来ます。これまでも復元楼閣がシンボルでしたが、この楼閣を修繕したり周辺に弥生時代の遺跡を復元しています。また、国道を挟んだ西には道の駅「レスティ 唐古・鍵」も整備されています。行政主導の観光施設としてはよく出来たとは思いますが、道の駅から弥生遺跡までどれ程が道を渡ってくれるかが事業の成果でしょう。

 更に南下して明日香を目指します。ここからは寺川沿いを南下、しばらくすると敵の携電が鳴る。どうやら仕事らしいが、話が終わるまで私は土手から見える太安万侶の参り墓の写真撮影です。ここは墓として整備を図ったのですが、農地法という太安万侶の時代には無かった法律の壁に拒まれて現状維持、代わりに縁の「多神社」に記念のモニュメントが作られています。どうやら話は終わったようです、軽い昼食を済ませて耳成山の麓を過ぎ飛鳥川沿いに明日香に進入します。

 甘樫丘北の「豊浦」休憩所は閑散としています。25㎞程のロードをした足の疲れを癒やしつつ、明日香ルビーを戴きます。表面はジュース状になっているが噛めば適度な堅さ、ルビーがどの様な味なのかは分かりませんがキット斯様な味なのでしょう。さあ、仕上げ行に出立です。

 橿原神宮駅南の踏切を西へ渡り、金剛山葛城山そして二上山をコンパスに南西方向へ走ります。暫くすると整備中の「新沢千塚古墳群公園」の北半分が見えて来ました。5世紀頃の円墳が沢山集積しているので千塚と呼ぶのでしょう。自然生えの木立やツツジなどを切り取って円墳がよく見えるようにと整備されつつあります。南側には駐車場とレストハウスも設置され、これは既に機能しているようです。

 前述の変わりすぎた・・・と云う地元民の声は「ツツジなどは置いておいてほしい、皆で管理するから」という声空しく全て伐採されたと脇で農地を耕すお百姓のお声でありました。大きな目的の前の小さな願いとでも言い表しますか、庶民の声はなかなかお上には届かないものなんでしょう。この公園からは、畝傍山とその麓の橿原神宮がよく観察できます。明治時代に神武天皇陵として再整備された橿原神宮の森が、何となく周辺の景観に刷り込まれていないと思うのは私だけでしょうか。

 では、先へ進み神武天皇社のある、御所市の柏原地区へ。蘇我川を道案内に南西に進むと「佐藤製薬工場」がでんと構えます。役行者発祥の地に製薬工場を求めたと創業者の「佐藤又一」氏は吉祥草寺で語っています。柏原地区の直前にはサクラソウの見事な植栽です。サクラソウに見とれつつ少し進むと、神武天皇社の前に。同行の敵は、「神武天皇絡みでも先ほどとこれとの差は何でっか」と率直な質問。私にもその謎は解けませんが、歴史というものは時の都合の良いように書かれるものでもあるのでしょうか、と問いかけてあやふやに。

 ぼちぼち、日は金剛山の向こうへ沈みかけてきました。予定では中将餅を買って帰るつもりでありましたが、ここから西の斜面を登っていたのでは駐車場の閉門5時に間に合いません。先ほどの役行者縁の吉祥草寺を見学して葛城川をナビにして一路法隆寺へ向かいます。川沿いのサイクルロードは時に追い風になりますが、時速20キロを超えると電動は制御がかかるようでそれ以上加速できません。我が意を得たりとばかり人力は差を広げられますが、向かい風になると背後霊のように敵が迫ってきます。

 追い風向かい風、抜きつ抜かれるつのシーソーゲームを繰り返して法輪寺前に着いたのが5時5分過ぎ、ギリギリセーフのゴールインでした。電動の機械装置によれば、走行距離55㎞、7時間ばかりの戦いは勝者無しのドローと云うことで目出度しめでたし。ただし、本日の筋肉痛に呻いているのは私だけでしょうか。

 写真:サイクリングロード看板、敵と大砲、唐古遺跡、太安万侶参り墓、敵の兵器、新沢千塚古墳、サクラソウ神武天皇社、吉祥草寺の佐藤さん

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 電動の 人力にまさるは 金力か <古事記銀輪>