河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

お湯休め「偐家持&偐山頭火 中街道・上街道を駆ける」

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 ケン家持こと偐家持と、私のコンビによる恒例銀輪行を表題の通り楽しんできました。偐家持氏は越後遠征直後、私は山麓バイパス行の直後でありますが、今やバイクに掛けて走ること以外に能のない二人にとってはコンディション等どこ吹く風であります。

 スタートは唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町唐古及び鍵地区)という弥生時代の環濠集落遺跡。埴輪の絵から再現された楼閣が面白い。ここから寺川を上り鏡作神社へと向かう。この川筋は非常に眺めが良い、よくよく観察すると堤の周辺に大きな建物が無く遠望が効くのが良いのか。

 鏡作神社は正式名は鏡作坐天照御魂神社といい、田原本町八尾に鎮座する延喜式内大社です。古来から鏡鋳造の神として信仰されたそうです。(田原本町資料より)ガラスや鏡業界からの寄進が目立ちます。次に目指すのが本日の本命であります多神社。先のMTB行でもご紹介したように、今年は古事記編纂1300年と言うことで、奈良市田原地区で発見された、太安萬侶の遺骨を多神社にも分骨されるという報道があったので、その墓と呼ばれるものを見ようと言うことが今回の発端であります。

 多神社については:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E5%9D%90%E5%BC%A5%E5%BF%97%E7%90%86%E9%83%BD%E6%AF%94%E5%8F%A4%E7%A5%9E%E7%A4%BE
 
 分骨の奈良新聞記事<古事記を完成させた奈良時代の官人、太安万侶を祭る田原本町多の多神社(多忠記宮司)が、奈良市内で発見された遺骨の一部を譲り受け、地元に「墓」を造ることになった。安万侶の墓と伝承されてきた円墳を整備して納骨する。今年は古事記完成1300年にあたり、命日の7月6日に納骨式を営む。>
 しかし、その「墓」については確認することが出来ませんでした、後日としたいと思います。想像していた以上に素晴らしいお社と手入れの良さに、地域の人々の信仰の篤さを感じます。

 さあ、ここから再度寺川に沿って桜井を目指します。橿原市に入って竹田神社で休息。ここには大伴坂上郎女の歌碑「うち渡す 竹田の原に 鳴く鶴の 間無く時無し あが恋ふらくは」がひっそりと佇んでいる。さらに桜井を目指す道すがら、大和三山を一望に見渡せるビューポイントも新発見。これは後日といたしましょう。

 桜井市街地を過ぎた辺りから、国道165号に乗り換えです。さらに166号との交差点で166号に乗り換えると、本日の最終目的地であります舒明天皇陵のある忍阪(おつさか)へと向かう旧街道へ出ます。舒明天皇陵はこの忍阪の道筋からさらにそれた外鎌(とがま)山の中腹に遙拝所があります。同じ天皇と言っても河内や堺の天皇陵と違った簡素な作りに驚きます。舒明陵のさらに奥には、大伴皇女墓(おおとものひめみこ)と鏡王女墓(かがみのおおきみ)の墓もあるらしいが、私はギブアップして坂道で休んでいた。犬養孝教授の歌碑のが清流の中に建てられていて、里の童達が母と水遊びしていました。なんとも素晴らしい子ども達の遊び場でしょう。

 ここから車のある唐古・鍵遺跡までは、ただ下りのみ。スタート地点へ戻ると、距離計は40キロ、今週は大凡90キロほど走ったことになります。

 写真:唐古・鍵遺跡、鏡作神社本殿と寄進の跡、多神社、竹田神社歌碑、舒明天皇陵への道(土手にはスカンポとワラビ)、犬養歌碑(鏡王女が天智天皇に贈った「秋山の 木の下隠り 行く水の 我れこそ増さめ 思ほすよりは」)、清流で遊ぶ里の童と母

 忍坂にて
 ○分け入っても分け入っても古墳ばかり <偐山頭火