河内温泉大学

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お湯休め「修羅のレプリカ 当時はもの凄い熱気だった発掘現場」

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十二代目市川團十郎の葬儀式が執り行われている最中、江戸木場成田屋すなわち四代目團十郎の銘を見つけ、ファンの一人としての何かの縁を感じながら天満宮の中を散策していると、修羅のレプリカ展示を見つけました。修羅とは1978年に、応神天皇の后の一人仲姫皇后陵(仲津山古墳)の陪塚である三ツ塚古墳で発見された、巨石を運搬するための道具。この発見によって多くの古墳築造に関する謎が解けた。発見当時は古代史ファンのみならず、国民の多くが関心を寄せました。私も専攻は違うが、役得で発掘現場を見学させてもらった。

 その後、修羅は(財)元興寺文化財研究所生駒市)へと運搬され、木材に含まれる水分の代わりに水溶性樹脂のポリエチレングリコールを浸透させて固化する保存処理が行われた。現在本体は、河南町大阪府立近つ飛鳥博物館で展示されている。小修羅と呼ばれる小型の修羅は、地元藤井寺図書館に保管展示されています。

 そこで、修羅が発見された三ツ塚古墳付近と仲姫皇后陵まで足を伸ばすこととしました。道明寺から西へ、国道170号の少し北に西へ入る脇道があります。この奥に三ツ塚古墳と呼ばれる古墳がある、西名阪道高架下の道を西へ、急に下りになった所、北側に針金で雑に囲った古室山古墳があります。この古墳に立って(立ち入り可)北にこんもりと樹木の山が見えるのが、宮内庁が管理する仲姫皇后陵です。

 長さ290m、前方部幅が193m、後円部の径が170mで、前方部の幅が後円部の直径より20mも広い。両者の高さを比べると、前方部が23.2m、後円部が26.2mと後円部の方が若干高い。くびれ部の両側に方壇の形をした造出しが完備し、三段に築かれた墳丘が美しい、造形がはっきりと分かる古墳です。これらを含む古墳群は、堺市と共に世界歴史遺産登録を目指しておられるが、名の付いた古墳とそうで無いものとの保存程度の差はいったい何処にあるのか、ユネスコを納得させる説明が必要だろう。

 写真:道明寺天満宮所蔵の修羅レプリカ、古室山古墳標識、梅が咲く古室山古墳を進む、仲姫皇后陵

 古墳巡り
 入っても良い 入ってはいけない 誰決めた     <偐山頭火