今年の立春は2月4日、その翌日に南河内は藤井寺市の道明寺天満宮へ梅を求めて参りました。母の出身地への入り口に当たり、折りに付けて帰郷する母の尻にくっついては天満宮の参道で蒸した川蟹を求めてすすりながら、野道を歩いたことを思い出させます。
山門の脇に並ぶ屋台は、次の出番は10日から始まる梅祭りまで閉まったままのようです。今は、境内で盆梅展と即売会を開催中でありました。読書会仲間の智麻呂氏が、作品のため梅の鉢を探しておられると聞いていましたが、MTBでは少々かさばるため購入をあきらめて写真だけでもお届けしましょう。
さて、道明寺天満宮は南河内の梅の名所として有名です。この日は境内のあちこちでは三分程度までの梅が楽しめました。本殿の裏には500坪程の梅林が広がっていて、梅花祭には菅原公に献花される。宮内には「江戸木場成田屋」(四代目市川團十郎)寄進と銘のある手水舎がありました、散策ついでに探されては如何でしょうか。
道明寺天満宮一帯は土師氏の祖、野見宿禰が治めていたが仏教が伝来し、推古天皇の2年、聖徳太子の発願により土師寺が建てられました。これが道明寺となり、菅原道真が九州へ左遷される直前叔母覚寿尼公が住まれていたここを訪れて名残の品や歌を残されていることから、縁が深くなりました。明治の神仏分離の際、道明寺天満宮と道明寺を分け、道明寺は東高野街道を隔てた西隣の敷地に移転しました。
道真公の歌
鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音の なからん里の暁もがな (この歌によると、鶏が鳴くと九州へ出立しなければならない菅原公の気持ちを汲んで、この辺りでは鶏を飼わないという言い伝えを母の実家辺りでよく聞きました)