我々が小学校の給食で食べたカツレツのように、小さな肉きれをたたき伸ばして大きく見えるようにと・・・お話しを引き延ばしているのではありません。たまたま、初回の「奈良 平城宮跡周辺万葉サイクリング伴走記」で走った場所辺りで所用が続き、ならばもう少し見学していこうとなったものです。
平城天皇陵を横切る里道、左奥が拝所右に制札があります
昨日は「神功皇后陵古墳」と「称徳天皇稜古墳」「日葉酢媛命稜古墳」を回るつもりだったが「成務天皇陵古墳」と「称徳天皇陵古墳」を勘違いしたのか、後者を飛ばして次の目的地に向かってしまいました。まあ、考えようでは課題を残したと思えば良いが、認知症の疑いも色濃く残る後味でありました。あえて言い訳をすると、スマホで見るグーグルの地図は縮尺によって、目的物が現れたり消えたりするのが、我々「昭文社」や「ゼンリン」の地図に慣れた者には異文化にも見えるときがあります。
平城駅近くの踏切で
神功皇后は「朝鮮征伐思想」の実行者です。14代仲哀天皇の后にあって夫崩御後長きにわたって天皇代行(摂政)となり一部では女性天皇と言われてきたが、大正時代に歴代天皇の列から外されたお人です。女帝云々、女の地位向上という人々は神功皇后の復権もついでに声を上げるのも一案としてはいいのかも。
神功皇后陵古墳裏口の階段です
その御陵へ行くために近鉄京都線平城駅を過ぎて線路沿いに北へMTBで走っていると二叉路に出る。右か左という判断では習慣的に「右」を取る。ついでに言うが競艇や競輪では一と二が好みです。<元へ>坂が急勾配になって左前方に石の門が見えてきました。相当丁寧な造りで宮内庁系の仕様ですが、制札が無い。門扉が開いているので急階段を上がると神功皇后稜の拝所に出た。神社関係でよくやってしまう、裏口入門でした。
神功皇后拝所
反対側へ降りると正門に出るようだがMTBを裏口へ置いた関係で元へ戻る。バイクを担いで再び上がるわけにも行かず、元来た道を元へ戻るのもシャクなので御陵を大回りする。結構な距離を走り、御陵の西へ出たところで奈良競輪のバンクが見えると制札が見えてきたのでここが表口だろう。
奈良競輪場全景、後ろは生駒山系
神功皇后陵古墳制札
少し戻ると「成務天皇陵」とその先に「日葉酢媛命稜古墳」が仲良く並んでいる。遠く眺めると、韓国慶州の古墳公園を思い出す風景です。50年ほど前「若草読書会」当時は「読書会」のメンバーと訪れた場所です。この時点で「称徳天皇稜古墳」の事が頭から消えていて、バイクを下ろした平城宮跡の駐車場へと向かってしまいました。非常にお腹が減っていて、飢えに近かった事も一つの原因でしょうか。
日葉酢媛命陵古墳拝所
慶州の古墳公園に似た風景、左奥が成務天皇陵古墳
この後道沿いのレストランで遅い食事を取りつつ、コピーしてきた地図を広げて失敗に気づくのですが引き返す気など毛頭ありません。秋篠川が下り大和川と合流し、河内平野へ出たところでもう一つ所用があるためです。また来る口実を作っておくのも良いことです。