昨年末の中村勘三郎に続いて、今月に入り十二代目市川團十郎という名跡が次々と亡くなった歌舞伎界。四月に改築される四代目となる歌舞伎座のこけら落とし公演を前に、ファンならずとも今後の梨園の行く末が心配だ。
さて、市川團十郎に関して、河内人も観梅や夜桜見物はたまた入学祈願によく訪れてている道明寺天満宮が縁が深く、その寄進物が境内に残っている(既報)ことをご存じの方は少ないだろう。歌舞伎の演目の「菅原伝授手習鑑」(すがわらでんじゅてならいかがみ)は、菅原道真がそのモデル。菅原道真に置き換えられた「菅丞相」が九州へ流罪となり、伯母覚寿と道明寺で別れのひとときを過ごすという、菅原道真大宰府への左遷に纏わる話が、非常に込み入って語られる。
木場の親玉と呼ばれた四代目市川團十郎(1711-1778)は、江戸木場に自宅があった。豪放な性格から慕ってくる者が多く、よく面倒を見たので親玉と呼ばれたという。この四代目が、得意としていたのがこの「菅原伝授手習鑑」であった。その関係から寄進されたものか、本殿向かって左にある手水舎の寄進者銘版の一番右端に「江戸木場成田屋」とある。成田屋は市川家の屋号で、舞台の役者に向かって客席一番後ろから**屋と大向うがかけられるそれだ。
今年の梅見、花見に道明寺天神さんを訪れられたら、是非この銘を探してみては如何だろう。遠いように見えていた梨園が、意外と身近に思える。また、団十郎ファンならご冥福の祈りを込めて「成田屋」と、心で叫んでみたくなるものです。
写真:手水舎銘版、同拡大、歌舞伎座歴代と四代目完成予想図、手水舎全景(3月4日追加)
成田屋
駆け足で 舞台幕引く 團十郎 <偐山頭火>
道明寺天満宮
http://blogs.yahoo.co.jp/gourmet_1212/53951643.html