河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

三度目の勢州へ「生孫と斎王さんに清少納言の湯へ」

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 今月三度目の伊勢行は、孫とご対面でした。直に実家へ帰る予定であった、娘と孫ですが、出産の都合で暫く伊勢で暮らさねばならない可能も、そこで、宅急便と相成って、伊勢行としました。但し、今回はお泊まりしても良いという沙汰も頂き、ルンルン行でもありました。

 娘の自宅に行き若干の荷物を下ろします。布団等の赤子用品です。授乳時に病院へ向かう、娘と同道して病院へ。赤ちゃんは、看護師さんがベッドごと移動して面会室の窓越しに対面です。出産時の写真からすると、約二週間で大きくなり、表情も豊かです。別れ際にはお手振りして頂いた様な、おじいさん惚け状態でした。

 授乳等に数時間かかる娘とは、ここでお別れです。さあーフリータイムだ!!先ずは、斎宮(さいくう)歴史資料館へ、月曜の昨日は閉館日ですが連休と「日本遺産登録」を意識して開館日となっています。ラッキーと喜びました。斎宮と言えば、大津皇子のお姉様「大伯皇女」しか知らなかったのですが、彼女が第一号の斎王らしい。と言うのは、資料館の学芸員のお話でした。伝説のようお話しと、史実が絡み合っているようです。

 斎宮に関する資料館等、歌碑が並ぶ歴史の道そして斎王が伊勢参拝時に身を清めたという「祓川」などを見学して榊原温泉へ。榊原温泉は、清少納言が「枕草子」にて「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」と謡われた三名湯の一つ。何時の頃からか、お伊勢の参拝客は神社の参拝前にこの七栗の湯で斎戒沐浴するのがしきたりとなりました。湯の質から「美人の湯」とも呼ばれています。確かに、ツルヌル系で、老人斑の私の肌も少しは美しくなったという夢の続きは次回に・・・。

 写真:斎宮歴史資料館(二題)、歴史の道(二題)、いつきのみや歴史体験館、斎宮全体模型、幟も新調です、祓川(二題)、榊原温泉神湯館

 伊勢行
 やっと見た 孫の顔には 涙する <偐山頭火

 〇写真四枚目の歌碑現代語訳を、偐家持氏より寄稿いただきました
 
 吾勢祜乎 倭邊遣登 佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所霑之

 訳
 わが背子を 大和へ遣ると さ夜更けて 暁(あかとき)露に わが立ち濡れし(大伯皇女 万葉集巻2-105)
 謀反の罪に問われそうになった際に、大津皇子が斎王であった姉の大伯(「大来」とも書く)皇女を訪ねますが、その弟が大和へ帰るのを姉の大伯が見送った時の歌です。

 現代語訳
 「わが弟が大和へ帰って行くのを見送って、いつまでも立ち尽くしていたので、夜が更けてしまい、明け方の露に私はすっかり濡れてしまった。」
 大津皇子はその後持統天皇に自害させられます。