河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

お湯休め「いにしえは女性の時代だった  」

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 女性の時代とか「女性が輝く日本へ」という政権のキャッチフレーズもよく使われている。当然のことながら、何でもかんでも女性ならば良いというのではなく、平等に評価して社会に進出を・・・と云う意味でしょう。特に、日本が歴史的に見ても、女性の社会進出を阻害してきた訳では無く、いにしえでは女性が時代を動かしていました。

 そのお一人が、鸕野讃良皇女(うののさららのこうじょ)です。壬申の乱では父天智天皇の意に反して、父の義理の兄弟である大海人皇子を妻として陰で支えたという。大友皇子との壬申の乱に勝利した大海人皇子は、天武天皇に即位します。以後夫婦で手を携えて、天皇中心の律令国家を築きました。

 天武の死後即位したのが妻であります持統天皇で、藤原京遷都、伊勢神宮の造営、日本書紀の編纂等歴史に名を残している女傑です。しかし、自身の後継問題では、大津皇子の変で少し良くない名も残しました。

 本日、持統天皇所縁の藤原京跡など明日香村を散策してきました。持統天皇に関する記述は、より深い知識に根ざした物では無くご批判もあろうかと思います。スライドショウの、講釈程度とお受け止め頂けたら幸甚です。では、写真説明を。

 写真:先ずは「壬申の乱戦跡」近くの不破の関資料館、天武・持統天皇陵、同陵付近鬼の雪隠(豪快なトイレです)、同猿石、藤原京跡(右奥畝傍山)、醍醐池東端の持統天皇歌碑(犬養氏揮毫)、畦道と彼岸花

飛鳥散策
 飛鳥こそ 畦によく合う 彼岸花