河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

伊賀越えで七栗の湯から勢州へ、孫K君との再会まで

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 本能寺の変で危機を感じた徳川家康は、周遊先の堺から僅かな手勢で、三河へ逃げるようにして帰ったという伊賀越えのお話しは有名です。特に、伊賀から加太峠通過の「団」は、服部半蔵一族の手によって、守られつつ相当な難儀をしたという。その象徴的な場所が「御斎峠(おとぎ)」、更に東に「加太峠(かぶと)」を超えると、領地は目前であります。この辺りの詳しいお話しは、諸先輩に譲るとして・・・。

 まずは、堺からでは無く河内から木津川を越えたり、沿ったりしつつて伊賀へ向かうことにします。途中には、聖武天皇の時代に僅かな期間都が設けられた「恭仁京」辺りで昼食。聖武天皇ならず、偐山頭火の昼の宴を「大極殿」で召す。世が世なら、打ち首獄門ですね。食後は例によって、トレンクルで散策。意外とフラットな都で大助かり、大凡な大きさは掴むことが出来ました。思いつきでは無いのでしょうが、斯様な大規模な宮を短時間で造らせて、直ぐに廃都とした権力にタダ驚く限り。

 国道(163号)に戻り上野を目指します。家康の時と比べて雑兵が襲ってこない、気をつけるのは現在の兵器であります「ハイオービス」。これにかかると、ひとたまりも無い。島ヶ原辺りで国道から逸れ御斎峠を目指します。急勾配を登りつつ何故か懐かしさも、少し先で原因は氷解した。昔良く通っていたゴルフ場の玄関前が御斎峠でありました。辺りを散策、色々見所もある。

 同じ峠を下り、伊賀の町に。何時もの金谷で土産用の伊賀牛を求める。後刻お値段を家人に報告したら、愚妻曰く「産地は安いね」。車代、ガソリン代を入れて計算すると安いものでは無いが、なんだか褒められたようで嬉しい。お肉を仕入れ、また元の国道を七栗(榊原)温泉へと向かう。翌日も伊勢まで一般道を使ったが、最近の国道は良く出来ていてあまり苦も無く走れる、動線も短いし、料金も無料だと考えると、急かない旅は国道に限る。先の九州でも同じような経験をしました。

 榊原温泉は「神湯館」。何時もの場所に車を置くと荷物を取りに来てくれる。夕食まではたっぷりと時間があり、何度も湯に浸かりビールを頂く。少し遅めの紅葉は、未練がましく枝にしがみついているが、これも又風情でしょう。

 翌日は、早めに伊勢に入り外宮前の「喜多や」で鰻重をピックアップ。朝頼んでおいた、娘達との昼ご飯。弁当を届けた頃には愚妻も電車で娘の家に着いていて、なにやら家事サービスをしていた。孫のK君には鰻はまだ早すぎる、匂いだけで辛抱頂いて親子三人で昼飯としました。K君とは二ヶ月ぶり、この短い期間で驚くほど成長している。後、好々爺となる。

 写真:恭仁京の宴、史跡あちこち、御斎峠2題、金谷、榊原温泉2題、喜多や2題

 久しぶりのK君再会
 伊賀超えて 紅葉駈ける 君見たさ  <偐好々爺>