河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

九州修行の旅「京町温泉から雲仙温泉まで」

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 栗野岳温泉を後にして向かったのが、宮崎県京町温泉です。宮崎県に半歩でも足を踏み込めば、今回の旅は九州全ての県を行乞することになります。京町温泉は大正期の開湯で、温泉街と云うより町のあちこちに温泉旅館や立ち寄り湯(地元湯)があるというスタイルです。

 今回お邪魔したのは中心部にある「玉泉館」と云おうお宿ですが、大声で叫んでも中々出てきてくれない、と云う雰囲気のお宿。私好みの単純アルカリ泉。いわゆる癖が無い温泉でした。壁には、山頭火の句や野口雨情の歌が短冊にしたためてある。駅前で野口雨情に関しては石碑があったが、山頭火も托鉢していたのでしょう。

 ここから天草を目指して、出水市経由で蔵之元港まで、途中山道を駈けてしまった。またしても、ナビにしてやられてしまった。出水の鶴は何度か近くまで来つつ、あまり興味も無かったのですが今回は真横を通過すると云うことで、ご挨拶に伺った。なる程数万羽の群生は圧倒されますが、ここに伝染病が入ると種の絶滅という危機があるという動物学者の危惧もよく理解できます。

 今回二度目のフェリーで、天草下島牛深港へ。熊本本土からだと「天草五橋」と云う橋で渡ってくる所だ。フェリー利用だとショートカットしたようなもの。島の北西部に突き出た苓北にあるホテルが今日の宿です。島を西沿いに走ると「崎津天主堂」という海に浮いたような教会が目に入りお参り。

 「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成教会としては、一番南にある教会で、町の真ん中にある「鎮守の宮」と云う感じだ。既に推薦書がユネスコに提出されているとか、石炭を掘る廃墟が叶うならこれも良いだろうという思いがする。

 苓北町でも砂州と繋がった豊岡地区にあるホテルが今宵の宿、海に突き出たような地形故「海の幸満載」の料理でもてなしてくれました。翌朝は、地名にもなった「豊岡城」を見学。ここが拠点となって「島原の乱」を鎮圧してと云うから、最前線であったのでしょう。

 豊岡城見学の後、砂州辺りの海産物屋さんで昨夜食した地元産の海の幸を見繕って、土産として発送。後、鬼池港よりフェリーで島原半島口之津港へと向かいました。いよいよ、島原の乱主戦場となった「原城」を見学です。その前に「キリシタン遺産記念館」で予備知識とトイレ休憩。原城は石垣のみを遺す城で、城内は殆ど畑として利用されています。しかし、それもまたもの悲しい風景です。

 出来の良いプランですと、島原の町並みと湧水等を見学するのが良いのでしょうが、ぼちぼち温泉が恋しくなり雲仙の国民宿舎青雲荘へと向かいました。と云うものの、原城跡にあった「真砂温泉」には既にお邪魔しておりますが。

 無くなった言葉だと思っていた「国民宿舎」が雲仙では健在でした。しかも満室の盛況とか。白濁した湯は掛け流ししているという。加えて国庫が支援している補助制度利用で、大変安く利用でしました。

 と云うことで、今回は天草と島原の二日間を駆け足で記載しました。

 写真:京町温泉玉泉館湯、野口雨情碑、出水鶴と稲畑汀子句碑、蔵之元港フェリー乗り場、崎津天主堂2題、苓北ホテル海の幸2題、豊岡城からの眺め、鬼池港から島原へ、キリシタン遺産資料館、原城、真砂温泉2題、雲仙青雲荘と夕食(九州の甘味醤油に馴染めずキッコーマンを持参する)

 宗
 人人を 生かす殺すも なぜ教え