河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

木津温泉「ゑびすや」へ行った

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 木津温泉「ゑびすや」旅館は木津駅から徒歩3分ほどの線路脇にあります。この3分で温泉街の外れに到着します。要は温泉街と云うほどの街区を形成していませんが、昔はこれでも賑やかだったのでしょう。松本清張が「Dの複合」をこの宿で二ヶ月逗留して執筆し、作品中でも「浦島館」として登場します。その頃の館を「大正館」として現在でも利用なさっている。我々が往き来しだした頃は、新館と称していた鉄筋立ての館が主体で、当時は本館と云っていた大正館は利用者も無く値段もお安い設定でした。

 しかし、近年のアンティークブームというのか、古民家風が良いというのか大正館の人気が上昇し値段も逆転している。そこで、究極の逆張りか世を拗ねているというのか今は「万葉」と呼んでいる新館に泊まることとしました。大正館に泊まる理由の一つに、先にも書きましたが大正館内にある個室風呂を自由に利用できたのも理由の一つでした。しかし、宿によると自由に使わせるともめ事も多く発生した為、今では予約制として管理されていて特に大正館に泊まる理由も無くなったことも理由の一つです。本学の調査範囲では、関西で個室風呂を自由に利用できる温泉宿は、三朝温泉木屋旅館のみとなった。

 今回は大正館でないので個室風呂は利用しないつもりであったが、宿に着くと女中頭が是非と進めてくれたので「ごんすけの湯」という比較的大きい方を使用させて頂いた。大きい方をと云う計らいにも拘わらず家人は「露天風呂が良い・・・」と共同湯の方へ行く、是非にも及ばす。一人では広すぎる湯で目線の先に坪庭風の設えがあり、天井を見上げるとステンドグラスがはまっている。昭和初期の建物にしては館内や玄関も含めてモダンです。今は亡き温泉仲間のN医博に当館を紹介しましたところ、大変お気に入りの上「何故玄関も使わないのか」と嘆いておられた。当時と比べたら同じ価値観を持った方が増えたと喜ぶべきなのでしょうか。

 温泉ブーム、松本清張(2010年生誕100年)ブーム等々に後押しされて大正館の価値が上がったようですが、ゑびすや全体も非常に高く評価されるべき旅館です。玄関や食堂から眺められる手入れの行き届いた竹庭。「行基の湯」と「橘の湯」二つの共同浴場も竹庭続きの築山の中で湯浴みをする様な設えは上出来です。勿論先に紹介した女中頭始めスタッフの心配りも見事、大正館内の「静の湯」と「ごんすけの湯」もお見事です。

 上善如水とはお酒の褒め言葉の一つ。良い酒は水のように喉を通っていくという、いわゆる癖が無いピュアーな味と云うのでしょうか。同じ評価を温泉にもするとしたら「木津の湯」がこれにはまると思います。色も匂いも無く、公称40度と云うが少しひんやりする湯は首まで漬かっていないと真冬では風邪を引きそうだが、湯から上がった後数時間経っても身体の芯からホクホクとしてくる。そんな木津の湯を再認識した今回の温泉行でありました。

 写真:大正館玄関、貸切浴室二題、行基の湯、竹庭

 古いもの
 なくさせない なくならない ふるいもの <偐山頭火