河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

街道の郁「伊賀街道」

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 一人旅に出ました。伊勢と大阪を往復しただけですが、二泊三日の旅に挑戦と云えば大げさですが、まあ何とかなるだろうという大ざっぱな気分で。タイトルは大作家のパクリですが、捻っても洒落にはなりませんでした。「郁」でかぐわしい、文化の盛んなこと程度の落ちです。

 初日は伊賀上野まで高速を利用。本人には有り余る程時間があるので、最近は都市間の移動では高速を出来るだけ利用しない様にしておりますが、後の予定のためやむなく利用。伊賀上野では土産を「金谷」で調達しました。娘にリクエストを聴くと伊賀牛が良いとのこと、我が娘ながら良心的です。金谷のある商店筋の街灯先端には「芭蕉街」とあります。ご当地には幾度来たことか分かりませんが、芭蕉の生家は未訪問でした。こんな失礼なことではと早速訪問します。

 お店の直ぐ先にある交差点を左に曲がり、次の大きな交差点角に生家がありました。前には句碑「古里や臍のをに泣としのくれ」が建っています。他に43もの句碑が市内にあるそうですが、先の温泉施設の句碑は数に入っていないのでしょうか。ここから、伊賀街道、現代的な名称では国道163号を津方向を目指して走ります。

 伊賀上野を外れてすぐの街道脇に、伊勢と伊賀を支配した「藤堂藩」の官道であったという表示。更に進むと植木神社には、芭蕉の句碑もあります。この辺りが「平田宿」でしょうか。句碑と向き合って生きている枯れ芝も、コンビニサンドで昼食です。

 次の宿場は「平松宿」です。この先の長野峠が難所で伊賀と伊勢の国境でしょうか。平松宿をトレンクルで一走りしましたが、これと言ったモニュメントも無く普通の日常が過ぎていると云った町です。ここも街灯に意匠が、写真にある様に凝っています。残念ながら芭蕉の句碑は見つかりませんでした。

 昔は相当な難所であったと想像できる長野峠も、今では快適なトンネルで一気に伊勢国へ。脇を走る自転車も、下りは快適に飛ばしています。私もここからは国道165号に乗り換え、久居市内で23号バイパスにポイントを切り替え、一気に伊勢を目指します。伊勢では娘夫婦とその長男K君との再会、夜はお婿さんと宿泊するホテルでの会食と楽しい時間を過ごせました。

 写真:金谷前(街灯の先が見えますかな)、芭蕉生家二題、伊賀街道常夜灯と説明、平田宿植木神社句碑、平松宿三題、ホテルにて(聖書と何故か古事記

 街道
 孫に会う 街道でも 小道具か  <偐山頭火

 街道の標記について(11月6日追記)
 今回以降数回のシリーズで使用する街道標記につきましては、正しくは「旧」とするべき所もありますが、すべて**街道という形式で「旧」標記を省略させていただきます。