河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

街道の郁「東海道関宿から土山宿そして垂水頓宮跡へ」

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 伊勢の朝日はまばゆい、加えてK君の笑顔を見れば更にまばゆい限り。伊勢を発つ朝、再びK君の笑顔をとご挨拶に行く。今回は外宮も猿田彦様にも内緒とし、次の目的地東海道関宿を目指します。勿論「低速道路」ではありますが、信号を過ぎて次の信号は何処に・・・と首を伸ばさないと見えない程走りよい。

 高速が絡まる「関JCT」を通過すると、急に田舎っぽくなる。JR関駅に至っては、江戸時代東海道で賑わっていた宿場町の駅かと思える程です。駅前を線路から直角に200メートルも坂道を登ると関宿の中心地です。沿道に(元)宿や商店が賑わっている。ただ、倉吉などの白壁が集まる古い町と違う点は、道筋にインフラが揃っており、商業や工業の集中地域では無いという点です。

 逆にこの方が観光には向いている、一本道を行き来するだけで観光が成立します。とは云っても、ここでもトレンクルの出番です。先ずは、一番京都よりの関地蔵院から手抜きの説明で省略。高札場には後の世の関連企業か、郵便局が導入されています。漆喰の細工が美しいのは商店の跡でしょうか。町案内にも家具や木細工や漆喰が美しいとあります。中まで見てくれと云わんばかりの家もあります。

 甘味処はあるようですが、小腹も満たす様なお店は町並み保存と背反するせいか見かけません。では、と暇乞いをして鈴鹿峠へ向かいましたが、ここでも当てが外れて結局峠を越えた土山宿近くでやっとコンビニを発見しました。空腹の鈴鹿峠越は堪えますな。所で、国道1号は関宿を過ぎると上下二ルートに。比較的古い面影があるのが上りの様で、下りの私は山岳ハイウエイを走った様なだけであります。

 買い求めたコンビニにぎりを食したのは、東海道土山宿の現在の一里塚でしょうか「従是 右・京都へ十五里、左・江戸へ百十里」と書かれた碑の前。脇には上島鬼貫の「吹けば吹け櫛を買いたに秋の風」という句碑も。その櫛を売った様な商店も地元の有志で保存されているという。旅人に土産や駄菓子を売っていたのでしょうか。一軒ごとの規模では街道筋の旅籠という雰囲気ですが、こうも纏まって保存されていると重みが違います。

 さて、今回の旅の主目的であります「垂水頓宮(たるみとんぐう)」跡を探します。住居表示も無く、近くに目標となる物も無いと云うことで、感頼りの感ナビです。しかし、意外にこう言った場合に役立つ物で、里道程の幅に建っている標柱を発見しました。その奥にトラックが止まっているのですが、どう探しても道は見当たりません。そこで、トレンクルが登場して大きな茶畑の中にある森に到着しました。

 よく見ると、道に停車していると見えたトラックは、自家茶園の中に止まっておりそこへ至る道は無かったようです。どなたの訪問記を拝見しても、場所探しに苦労した様な記述があるのはこの事だったようです。徽子女王の歌が掲げられていましたが、頓宮は使用するたびに解体していたため歌ぐらいしか残っていないのです。何年か前に訪れました、伊勢の斎宮と都を結ぶ線が少し繋がった様な気がします。

 病後にしては少々動きすぎました、宿へ向かいましょう。頓宮の裏茶畑を大回りして野洲川の源流近くの宿へ。青土ダムの峡谷には早めの秋もちらほら。上流に向かう程紅葉が美しく色づいてきました。

 写真:関地蔵院、高札場二題、漆喰が美しい商家、奥まで見てと云う商家、土山の昼食場所、上島鬼貫句碑、櫛を売ったか商家、垂水頓宮石柱、入口らしいが公道には接していない、美しい宮跡、歌碑と説明

 東海道鈴鹿峠
 エンジンに 尻つかれつつ 峠越え   <偐レーサー>

 頓宮
 頓宮に 思いを捨てつ 伊勢の道 戻るや何時か 背子思う我 <偐大津姉>