河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

街道の郁「油日神社から伊賀上野、花の恭仁京を」

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 御在所岳北西麓の初秋は冷え込みます。その冷え込みが野洲川源流に紅葉のグラデーションを作ります。自然の映像描写には恐れ入りますね。ホテル脇の「若宮神社」から奥に進むと、グラウンドゴルフ場があります。現代人は蹴鞠では無く早朝から玉転がしに夢中です。

 さて、ホテルやその温泉は次回に譲って「街道の郁」を続けましょう。本日の第一目標は「油日神社」。大変危ないお名前ですね。若き頃この近くの「大甲賀CC」に良く通っていたが脇で見つつ、立派な社だな・・・と思うも先のゴルフに気を取られて真剣に拝見したことが無かった社です。

 伊賀の総社と名乗るだけあって、改めて拝見すると大層立派な作り、社殿へ続く石灯籠も見事ですね。経済力と武力を手中におさめた豪族でもおられたのでしょうか。しばし、森林浴も兼ねて休息、この付近は薬草に端を発した製薬業も盛んです。余談ですが、油日駅舎は、忍者が巻物をくわえ「人」と手を組んでいる意匠とか。

 この旅の土産は・・・と云えば「妻命」による、自宅用にも伊賀牛を買ってこいと。休日には息子夫妻と子も来るので「すき焼きの材料にと云う」。野菜類はこちらで調達するから良いで・・・とも。量目は別として、費用から見ると圧倒的にこちらの負担が大です。でも、命令は守らねば。と、またもや「金谷」にてすき焼き肉他「兵糧」を調達です。

 その後国道163号(通過地点で伊賀街道、大和街道、笠置街道、清滝街道と通称を変えます)で西へ向かいますが、お城に別れを告げる辺りが「鍵屋ノ辻/数馬茶屋」、仇討ちで有名な場所で公園化されています。公園の向かいには「伊賀越復讐の石碑」も。

 重要なミッションをすませたら、木津を目指します。適度なカーブに傾斜等々三重県下とは二味くらい濃い道ですが、こちらの方が河内人に馴れています。いよいよ恭仁京ですが、入口を間違えて国道から恭仁京脇のコスモス畑を眺める羽目に。大きく回り込んで大極殿跡に到着です。

 地域の児童や生徒達が手入れをして育てたというコスモスと、畦の端のススキの取り合わせが美しい。奈良市内のコスモス寺よりは余程美しくて良いと思いますが、観光化されすぎるよりはこのままが良いかなとも思いました。遺跡の石に腰をかけてカロリーメイトで昼食とする。中々腰の定まらない寅さんの様な聖武さんなら何を食べたかなとも想像すると少々可笑しくもある。さて、更に西を目指して飯盛山を越えて河内へと帰還することとしましょう。

 写真:若宮神社、その裏の紅葉、油日神社への参道、社殿他三題、油日駅、鍵屋の辻公園、伊賀越復讐の石碑、大極殿とコスモス畑二題、塔跡付近、”寅旅”の手足のトレンクルとその母艦

 秋
 街道を 行ったり来たり 秋迷う  <偐山頭火