河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

吉備路の旅「大仏開眼まで」

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 義父母のお墓は共に故郷であります、浅口市金光町の小高い山の中腹にあります。故あって私はお墓までの坂道は挑戦できずリタイヤ、娘さん(義父母から見て)の単独行となります。健脚では無い彼女、下りは落ち葉で怖かったと云います。登り口の野仏と、前に広がる灌漑用水です。お米や特産鴨川うどんの材料となる小麦を作る田畑を潤しているのでしょう。

 あらかたの落ち葉清掃と墓石を拭いて下ってくるまで、一時間弱架かっていました。私も、遥か下で合掌です。今回の墓参で我が家に関わるお墓参りは一通り済ませたことになります。年が変われば、また同じことを繰り返すのです。

 少々お疲れですが、今回の旅では「吉備真備」の記念公園を予定しておりました。遣唐使で、帰国後聖武天皇光明皇后に仕え「東大寺大仏建立」にも関わったと、NHKのドラマでも取り上げられたことがあります。その「真備」が吉備地方の出身だと云うことで、現在の矢掛町に記念公園が設けられています。館があったという場所に近いとか、郷土の偉人と云うことですね。

 数々の功績が残っている真備ですが、文書資料として残っている、最古の囲碁対局者でもあるそうです。よってこの場所は、日本囲碁発祥の地でもあるそうです。囲碁ならず、五目並べ愛好者にとっても「聖地」と云うことになりますね。義父母の墓所から15分程度でした、ここから同じような時間で宿泊するサンロード吉備路へ。何度も来ているのですが、見落としていたと云う感じです。

 写真:墓所の登り口、墓所前の灌漑用水、吉備真備像と垂れ槐(えんじゅ)、囲碁発祥の碑(右端)と説明板、NHKドラマセット(大阪放送局前)

 淺口にて
 吉備を発ち 難波で栄え 古里に 夫婦で眠る 幾久しくと <偐山頭火>