河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

偐家持氏の丁寧なガイドが付いた万葉歌碑を巡るMTBの旅

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 表題のMTB行を昨日行いました。絶好のMTB日より、暑さすら感じるこの時期としては願ってもないコンディションでした。車で桜井市内に入り駐車場所を市役所の来客用駐車場所として、MTBを下ろします。いつもは一台しか乗せていませんが、後席をすべて床下にしまい込むと分解せずともバイクが二台が優に積めます。このすばらしい機能故に、次の車が見つからず長年乗り続けています。

 さて、出だしは若桜神社。履中天皇の磐余稚宮跡とも言われる神社です。桜井(市)の地名のもととなった櫻の井が神社の北に設けられて、説を補完しているようです。
 次に向かったのが土舞台。若櫻神社から南南西に1キロ程度走りますと、急な斜面を上がり最後は三十段ほどの階段を上がると、尾根を切り開いた舞台が現れます。聖徳太子が少年を集めて伎楽舞を勉強させた所、日本初の国立演劇研究所という所でしょうか。ここから眺める大和の山々が見事でした。

 よく実った田のあぜ道を行くと吉備池に。吉備池は桜井市から橿原市の東池尻までの広大な灌漑用ダムだったようです。この池の畔に大津皇子と姉の大伯皇女の歌碑が、絶妙な間隔で並んでいます。謀反の罪を着せられて死に行く弟の歌碑が姉のいる伊勢を向き、「二上山を弟と思って眺める」という姉の歌碑が二上山を背負っています。

 次は南下して稚櫻神社。冒頭の若櫻と本家論争の対象となっておられる神社です。次に先ほどの吉備池の西端ではないかと思われる場所に建つ、大津皇子歌碑。東西に同じ歌の碑が建つと、あとは書の美しさ石の刻み方、出来上がり比べになってしまう。この向かいに、御厨子神社がある。この神社を大きく反時計方向に回ると万葉の森へとはいる。ここには数え切れないほどの歌碑が建っている。丁寧に見て回ると二日はかかる、大袈裟では無い。

 入口に戻り北へ進むと古池、その畔に柿本人麿の歌碑。達筆すぎて読めない。有名な書家らしいが、読めない書はどうかと思う。ここから、舗装道を西にとると藤原宮跡。醍醐池東端には持統天皇歌碑、犬養孝先生の揮毫になる万葉仮名による「春過ぎて・・・」は読みやすい。藤原宮と香具山のツーショットは、コスモスが似合う。ここらで昼食としたが、偐山頭火の方向誤りで三十分はロスしてしまったがその分だけ飯はうまかった。

 さて、栄養補給がすむとフィニッシュにかかる。本薬師寺を目指して東へ進む。本薬師寺はその境内であったと思われる範囲を布袋葵で埋め尽くされている。季節ものテレビ報道番組でよく拝見するが、時期の過ぎたと思われる今頃でも美しかった。入り口には黒岩重吾揮毫の歌碑が建っているが、扱いが悪いのは気のせいか。JR桜井線に沿って東に進むと、醍醐環濠集落が。奈良は環濠集落が多いが、ここは痕跡を探すにも苦労するほど暗渠化が進んでいる。

 桜井線を越えて、伊勢街道を進むと三輪神社。この社の欅はすばらしい、伊勢に参るおかげの連中はこの欅を目標にしたという、然もありなん。さらに東へ進み、栗原川手前で近鉄線を超えた辺りに春日神社がある。この社は大津皇子の邸宅で、持統天皇から自死を命ざれた場所と言われています。
 大津皇子とお姉さんの兄弟愛を巡る旅の振り出しでこの地を訪れた方がよかったのか、いや最後でよかったのか。自問自答をしていたら、滑稽な石の造形物を見てついにんやりと、悲劇話にけりがついた。

 写真:行程図(赤線で場所を、順番を緑の輪で示しています)、若櫻神社の桜の井、土舞台から金剛葛城・二上山大和三山遠景、吉備池畔大津皇子歌碑、その西の大津皇子歌碑、御厨子神社、万葉の森、柿本人麿歌碑、持統天皇歌碑、藤原宮と香具山、本薬師寺歌碑と布袋葵群生、醍醐環濠集落説明、伊勢街道三輪神社と欅、春日神

 なお、偐家持氏のブログでも今回の行程を丁寧な説明付きで案内されています。和歌や歴史等についてもっと詳しく、と言う方に彼のブログを紹介しておきます。

 偐万葉田舎家持歌集
 http://plaza.rakuten.co.jp/yakamochi35/diary/201210160000/

 万葉の旅にて
 最後まで 家持頼り 歌碑巡り              <偐山頭火
 姉弟の 思いは同じ 吉備の池 姉は二上 皇子は伊勢向く <偐山頭火