河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

柿だけではなく苺も美味しい斑鳩から聖徳太子の足跡を巡り上ノ太子まで その参

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 <承前>
 御廟、二天門そして南大門を結ぶ線上の南向かいの谷の上に、聖徳太子の三人の乳母を祀る日本最初の尼寺とされる西方院がある。また聖徳廟と南大門の延長線上の南側にある南林寺は叡福寺の四季講堂であったといわれている。付近一帯が聖徳太子およびその一族をお祀りするという一つの目的で配置された伽藍の集まりか、全てが一つの物であったのかもしれません。

 ちなみに、聖徳太子出生の奈良県明日香村の「橘寺」と兵庫県太子町「斑鳩寺」と結ぶ線上にこの叡福寺が立地するという。ならば、「下の太子」、「中の太子」そして「上の太子」と云われる、八尾市の勝軍寺、藤井寺市の野中寺そして叡福寺を線で引いてみるとどうなるか。一度試しにやってみようと思います。

 これは、白洲正子ワールド2「御所は豊かな実りと伝説の里」でご紹介した毎日新聞社の専門編集委員佐々木氏が「歴史の鍵穴」= 伊勢・出雲ラインの意味神話を演じる祭祀空間か=で論じておられる、伊勢神宮と大和を結ぶ線上に出雲大社があるという説に通じる。面白い見解だがそこまで踏みこむ知識は持ち合わせていないので、入り口を紹介するのみとしましょう。

 江戸期、西方院庵主さんと柏原市内の安福寺の珂憶上人と行き来があったとことは、先代安福寺大崎和尚からお聞きしたことがあります。この辺にも、夾紵棺が絡むと松本清張説っぽくなります。夾紵棺に詳しい猪熊兼勝氏(京都橘大学名誉教授)「安福寺の漆の板は、なぜ太子の棺なのか」の講演会を3月10日(土)午後1時半から三階研修室で開催するというので、ぜひ聴講したいものです。皆さんもお聴きになって謎解きに挑戦なさっては如何でしょうか。<了>

 写真:西方院への坂、本堂、由緒書き、石塔、叡福寺への坂

 謎
 夾紵棺 玉手と磯長 結ぶ絹 <偐山頭火