河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

柿だけではなく苺も美味しい斑鳩から聖徳太子の足跡を巡り上ノ太子まで その弐

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 <承前>
 空は曇って薄暗いが時計を見るまでも無くまだ時間はたっぷりとある、そこで聖徳太子のお墓がある太子町叡福寺へと山麓を南へ向かうことにする。山号は磯長山(しながさん)、本尊は如意輪観音である。開基は、聖徳太子または推古天皇とも、聖武天皇ともいわれる。この寺にある叡福寺北古墳(磯長墓)には、聖徳太子、太子の母・穴穂部間人皇女、太子の妃・膳部菩岐々美郎女が埋葬されているとされ、「三骨一廟」と呼ばれる。葬られている人物については異説もあるが、叡福寺の所在する磯長は蘇我氏ゆかりの地であり、聖徳太子の父(用明天皇)と母はともに蘇我氏の血をひいていることから縁の地にお墓を設けたとしてもおかしくは無い。

 既に「聖徳太子の棺にご対面」でご紹介した夾紵棺の一部を保管していた安福寺とは、山一つを超えて背中合わせの位置にある。このあたりも何か意味深長である。大阪の四天王寺でも見たことがある、可愛い聖徳太子が叡福寺門前の横断歩道を守っている。そこを入ると南大門が構えている。その下が駐車場「下馬」と書かれているので、私も寅号から降りることとする。この場合は「下寅」か。

 南大門をくぐると、左手に多宝塔、金堂、聖霊殿(太子堂)があり、正面奥が聖徳太子墓となる。ほかに浄土堂、上の御堂、念仏堂などがある。ちなみに聖霊殿は豊臣秀頼の寄進、同時に伽藍整備にも多大の寄進をしているという。徳川による豊臣の財を減らさんとする散財のすすめで数多くの文化財が修復されたり造られたり、中には形が歪められた物もあったのであろうか。一番奥の二天門の先に聖徳太子の廟がありその石室には三基の棺が安置されていると云います。中央には太子のお母さん穴穂部間人皇女、その東が聖徳太子、西が太子の妻膳部菩岐々美郎女が葬られていてその棺が乾漆棺だと云います。古墳とはいえ自然の緩斜面を利用した配置により、南大門から廟に向かって斜面を登るという配置は参拝者の心構えを自然と律する方向へと誘っている。そして、廟の前に立つと手を合わせるのがそれも自然と一体化する、組み合わせの妙であります。<続く>

 写真:人の道も下水道も「和」、ここでも太子さん交通安全、下寅(馬)標柱、南大門と御霊、聖霊殿、多宝塔、御廟

 三太子
 下中上 河内貫く 太子の道  <偐山頭火>