河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

八尾柏原銀輪散歩「桃林堂から柏原船まで」川沿いを行く

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 先週末から親族の不祝儀に付き合っておりました。三日間にも及ぶ一連の行事が終わり、昨日一息ついて懸案の諸事を本日バタバタと済ませてきました。でも、これはお目出度いこと少々疲れても、ハイな疲労感ですね。疲労感にハイがあるかどうかは解りませんが。

 一連の用事を済ませた経路を追いかけてみます。先ずは八尾市内の桃林堂へ、お祝いの品を調達に。小量なら当日でも間に合わせてくれるそうですが、纏まると事前にと云われておりました。21日に受取に行くと云うことで30個を注文です。それは、写真でもお分かりかと思いますが「小鯛焼き」です。写真はwhiteday仕様ということです。尾っぽにホワイトチョコレートをまぶしているようです。

 百草園という付属の庭には、椿と沙羅(?)でしょうか、可愛く咲いています。これから、もっと咲かせますと桃林堂では仰っていました。ここから、玉串川を遡りかかりつけ医のいる柏原へ。長瀬川との合流地点には水車があります。特に意味は無い水車ですが、修景には役立っています。診察を済ませて、関西線を跨ぐと奈良街道に出ます。写真の石柱は東からの道との交点にあります。

 奈良街道には江戸時代の旧家が点在しています。中二階のような建物がその時代のものと云っていいでしょう。最初に目に付くのが「寺田家」です。庄屋で屋敷の中には能舞台があります。明治天皇行幸の折、皇后が当家を本陣とされ、駅近くだというのに臨時停車場を作ったと云います。更に進むと、右手には「三田家」の屋敷です。大阪市内との舟運を開設した三田承久の子孫が住んでおられて、重要文化財指定です。

 三田家の裏を流れるのが了意川(下流では平野川)でここを柏原船が行き来しました。関西線が通じるまでは大阪から奈良への主要物流の動脈でした。ここで陸揚げされた荷物が陸路奈良へ入ったのです。柏原船の痕跡はあまり残っていませんが、三田家の少し上流にある中二階のように見える建物が、船の行き来を記録するための見張り台です。更に先にある川脇の公園の縁が曲線に見えますが、ここで船を回転させた船だまりの痕跡です。

 この後瓢箪山の知人宅と府立図書館経由で温泉大学のキャンパスに戻りました。当初に書きましたように疲れていますが、少々ハイな疲労感は久しぶりです。少し停滞していた前述の知人の演奏会祝いの準備もこれで整ったようです。

 写真:桃林堂にて花二題、家人からの加点なるか、意味不明な水車、奈良街道石柱、寺田家と説明、三田家裏の了意川、船の見番所と船だまり

 舟運
 銀輪で 行き帰りかな 春の岸 <銀輪承久>