河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

南都七寺 大安寺からもスイングで大和青垣コンサート

 所用があって8日に奈良市内へ。何度もある所用ですが、大した事では無いが月一程度は足を運んでいる。いつも通り用を済ませて西大寺から平城宮祉へ車を走らせると、駐車場使用禁止とあります。国営駐車場ですのでコロナ緊急事態対応と思われますが、目前で到着地を失うと困ったモノです。中心部に出てパーキングを探すか、あるいは自宅へ戻るか。昼食は不要と云って家を出た手前、ヤッパリ昼は要ると帰ると矢が飛んできそうです。
 大安寺山門

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 法華寺あたりから24号バイパスに乗り南下すると、大安寺の標識があります。この寺は古事記1300年記念の年に偐家持氏に案内されて訪れた寺です。確か犬養孝先生揮毫の万葉歌碑があったはず・・・と細い道へ進入する。JR関西線を越えると更に狭くなり、左手に庫裏が見えて来たら大安寺です。
 偐家持氏と訪問した問題の歌碑(2012年)

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 大安寺は南都七寺の一つ。東大寺興福寺元興寺薬師寺西大寺法隆寺を含めて南都七寺(大官大寺)と呼ぶが、法隆寺に代えて唐招提寺を入れる例もあるとか。では、南都とはなんぞやとなると、平城京、すなわち奈良の異称。京都の北都(平安京)に対していう。なら、北都**寺があるかとなると思いあたりません。平安京時代になると、ことさら仏教を国策として取り入れる必要も無くなったので、新たな官寺(国営寺院)も無くなったのでしょう。 
 法隆寺山門

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 さて、大安寺に戻ります。今では周囲数百メートル程度の広さですが、北側の集落の中にまで「元大安寺領」とありますので、相当程度の屋敷があったと思慮されます。東大寺法隆寺も寺領を耕作の用に利用させていたため、「農地解放」で寺領が減らされたと聞いています。官寺の中には大名クラスの領地を持っていた寺もあり、兵庫県太子町には「斑鳩寺」と云う寺があり立派な三重塔が建立されています。ここらは、法隆寺の寺領(荘園)で斑鳩寺はその管理場所であったそうです。
 斑鳩寺山門と塔

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 また再び大安寺に戻ります。犬養先生の碑だと思う場所に建碑されている歌碑には、犬養氏の落款が見当たりません。その後ろの碑には俳句が刻まれているので違う。この問題は翌日偐家持氏に電話して教授いただいたところ、「本家」家持氏の歌碑とのことです。
 家持歌碑

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 資料によると、大安寺は奈良県奈良市大安寺にある高野山真言宗の寺院。本尊は十一面観音。開基は舒明天皇と伝える。南都七大寺の一つで、奈良時代から平安時代前半までは、東大寺興福寺と並ぶ大寺であったとか。さて、歌碑の正体ですが大伴家持が、天平勝宝8年6月17日病に臥して無常を悲しび、修道を欲して作れる歌2首のうちの1首、「うつせみは数なき身なり山川のさやけき見つつ道をたづねな」と詠ったものと偐家持氏より教わる。
 同裏書き

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 さて、同寺の至る所に同一サイズのダルマが野に置かれている。何か法則のようなものがあるかと思案するが思い付かない。愚僧宅に帰りネットで調べると、お神籤がダルマの中に入れられており、用済みの神籤を木立に結びつける感覚で置いていくとのこと。癌封じ笹酒や笹水とか、官寺にしては自助努力を重ねられているのは民営化の成果か。
 ダルマ様

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 癌患者である愚僧には笹酒は不要の悪薬につき、触れぬままに門を出る。山門であるが、南東の角地にあるのが前述した農地解放の成果かどうかは知らぬが、多少不自然さを覚えます。その南にあるのが元石清水八幡宮。807年(大同2年)8月17日 奈良 南都七大寺の一つである大安寺の鎮守として建立されたという。
 石清水八幡宮

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 八幡宮の杜の南に怪しげな土盛りが二カ所あります。近づくと塔跡と云う説明が書かれている、さすれば薬師寺のように東西の塔が秋篠川佐保川を挟んでそびえていたことになります。薬師寺だけでもスイングすると言われていますが、大安寺の東西の塔がそれに並ぶとビッグバンドがスケールの大きい絶妙な音色を奏でいたことでしょう。
 大安寺西塔跡(背景は生駒山

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 薬師寺の東西の塔(2020年)

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 ぼちぼち帰りましょう。夕餉に柿の葉寿司を買ってこいとの下命も賜っていたので薬師寺脇の「平宗」へ向かいます。ここで、鯖オンリーの柿の葉寿司を購入して、向かったのが法隆寺。こうなっったら、南都寺巡礼のようなもの。
 法隆寺東院脇にて

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 客がいない法隆寺周辺も大変だと思いますが、千古以来斯様な時期も度々あったはず。文化財世界遺産)という無料の固定資産を利用して、饂飩じゃ蕎麦じゃと営業をしていたのだから、少しは耐えていただきましょう。
 陽は西方へ傾きかけます。その陽の軌道上を追いかけて平群町から十三峠越で一気に河内を目指すことにします。
 平群の菊栽培

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 奈良側からだと比較的緩斜面で峠に辿り着きます。信貴生駒スカイラインを潜ると十三峠展望台に到着しました。此処で一休みしてやや霞む河内と上町台地満喫して、急斜面を20分も下れば我が河内温泉大学へ到着です。対向車両に十分注意しつつ林道ドライブを楽しんだら、日常が待っています。
 十三峠から河内・摂津方向を望む

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 秋篠と 佐保を挟んだ 四(よつ)の塔 

             大和に流れ 河内でスイング  <偐山頭火