河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

大相撲の夏場所番付発表、日本最初の相撲と女相撲

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 私のような大相撲ファンならずとも、ここ暫く続く大相撲界の不祥事にはうんざりしている方が多いのではないでしょうか。カラオケビンタ、無免許運転、自称改革派騒動等々斯様なバカバカしい出来事で土俵を汚してくれたものだ・・・と大鵬や初代若乃花さんもあの世で嘆いておられることでしょう。夏場所では、カムバックした安美錦に頑張って貰いたいものです。

 女性が土俵に上がることに関しても、一家言を持っていましたがこの記載を読んで少し考え方も変わってきました。それは日本書紀に「雄略13年9月には当時決して刃先を誤らない工匠の木工にして黒縄職人であった猪名部真根が「決して誤らない」と答えると采女を呼び集めてその衣服を脱ぎ褌にさせ人前で相撲を取らせた。その様子を見た猪名部真根は思わず刃先を誤ってしまう。それを理由に雄略天皇は猪名部を物部に付けて死刑にしようとするが、黒縄の匠の技が失われることを惜しんだ仲間が詠んだ和歌を聞き、悔い改め、「むやみに人を失ってはならない」と言い、使いを刑場に遣わし恩赦を与え解放した。」とあり、雄略天皇の野蛮な振る舞いを、女性の相撲という滑稽さで諫めたようですね。

 さて、今回はその相撲ネタで何度か登場している當麻蹶速野見宿禰との日本で最初の天覧相撲の場所です。少し長いですが當麻町今の葛城市の説明を引用しますと・・相撲の起源として、「野見宿禰」と「當麻蹶速」の天覧相撲が日本書紀に書かれています。大和の国當麻の邑に「當麻蹶速」という人物がいました。蹶速は手で角をへし折るほどの怪力の持ち主で、常日頃から「この世で自分と互角に力比べができるものはいない、もしいればその人物と対戦したいものだ」と豪語していました。天皇垂仁天皇)はその話を聞き、家臣に「當麻蹶速と互角に戦えるものはいないのか?」と尋ねたところ、家来の一人が「出雲の国に野見宿禰なる人物がいます。この人物を呼び寄せ蹶速と戦わせてはいかがでしょうか?」と進言しました。天皇は大いに賛成し、垂仁天皇7年7月7日に「野見宿禰」と「當麻蹶速」の対戦が行われました。お互いに足を上げて蹴りあい、長い戦いの末、けはやはこの試合で(腰を折り)命を落としてしまいました。この「宿禰」と「蹶速」の力比べが国技相撲の発祥とされ、また、我が国初の天覧相撲といわれております・・と日本書紀をもとに説明しています。

 この程その腰を折った場所(田)と云われる所に写真の様なモニュメントが設置されました。石のお相撲さん、ミニ土俵、説明板等が展示されています。二上山の東麓の絶好の場所でありますが、駐車場が無いので見学の折は充分にご注意ください。見学の帰路、當麻駅前の中将餅を買って帰ったことは、付け加えるまでもありません。

 写真:當麻の腰折れ田モニュメント等

 相撲
 おかみさん お相撲部屋の あるじかな <女の相撲>