河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

黄金週間の銀輪行は高槻城を目指して

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 黄金週間の中日、ど平日の銀輪行を友人のけん家持氏と高槻城を目指しました。目指したと云っても「目指された」と云うべきで、今回の銀輪行は私からのオーダーで、目的地に関しては彼任せ。帰って来た返事としては「池田方面か堺方面」だったので、どちらかと思って集合地点の八戸ノ里駅に着くと「高槻にした。」との事であります。故は「池田ではお前が以前横転したので験が悪い。堺は何度も行っている」から、今回は高槻としたとの事。

 理由はどうでも結構、方向もどちらでも結構と進路を北に取ります。銀輪行での難点は鉄道、河川と大きな道路です。鉄道は出来たら平面交差を狙いたい、大きな道路も同様です。河川は使いようでは平坦な道にもなりますが、堤が障害ともなります。今回は、京阪線、国道一号と淀川です。京阪は西三荘駅で路面をアンダーパス。国道は大日交差点で地下アンダーパスでクリアです。淀川を越えて右岸堤防に出ると京都までも平坦な道です。ただし、時間帯によっては強烈な向かい風を受けますが。

 淀川右岸を走っていると「千本つきの歌の碑」が、何かと読むと堤を築く時のかけ声替わりの歌とか。舟歌、木こり歌は聞いたことがあるが土手を築く歌は初めて。「よいとまけの歌」だとけん家持氏、万葉歌人にしてはモダン(?)な現代歌もご存じとは見識の幅の広いこと。と、感心していると先頭を走る私の選択間違いで茨木市付近で堤を下ってしまう。こうなると、すり鉢の中を走っているようで、遠望できる山の形を頼りに走るだけ。まあ、これでも大概は目的地には着いています。

 戦闘食はラーメンか牛丼か・・・との選択に悩み牛丼とします。ゆっくり食べたのでは食べた気がしない、と云うけん家持氏は早食いです。追っかけて早めに食べ終えて出発すると、茨木市高槻市の境付近を走っていることに気付きます。そして見えて来た字名が「出丸」。こうなると、本丸は近い。が、右往左往は暫く続き何とか辿り着いたのが城脇の「野見神社」。数日前に訪れた當麻の腰折れ田で當麻蹶速を腰折の技で仕留めた野見宿禰を祀る神社です。江戸時代に入って高槻の藩主は永井家となるが、その初代藩主・永井直清を祀る神社でもあるらしい。

 やがて、以前牛車で訪れたことがある風景が点在する城内へ。高山右近が見下ろす姿勢で立つ像付近で休息。けん家持氏の事前調査では「芥川宿」が近くにあり見学して帰ることとする。旧西国街道にあるのではと見当を付け、西国街道を探すもなかなか見つからない。半ば「やけくそ」になっていると「八百鶴本店」と云う寿司屋の軒先に「芥川仇討の辻」と云う標識が、ここだと更に探すと数十メートル先に芥川一里塚と社。これで、本日の目標をほぼ踏破したことになります。

 ここからの帰路は簡単、西国街道を西に取り適当な河川を見付けたらその堤を南下すると淀川に出ます。淀川堤を適当に走りつつどこかで渡河して生駒山沿いに南下するとそこは河内です。という道順で旧東高野街道瓢箪山付近で、更に山を登るけん家持氏と下る私と別れて無事帰宅となりました。往復で六十五キロの走行に流石に翌日は足がパンパンに張れていますが、心は軽やかになった次第です。同行というか随行というかサポートしていただいたけん家持に感謝です。

 写真:淀川鳥飼大橋上、千本つきの歌の碑、野見神社、芥川宿、東海道線隧道、淀川くらわんか船の発祥の碑

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 やけくそに 八百鶴応える 芥川 <鶴の一声>