河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

令和初の梅雨と台風が重ねてきた その前に

 自身のブログでは勝手に梅雨入りや中休みなどさせていましたが、今年の梅雨入りが異常に遅かったようですね。令和初の梅雨入りが、色々な記録をもってやって来たと思ったら、台風も連れてきたようです。
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この梅雨入りと台風を見越していたわけではありませんが、昨日は奈良を香芝、明日香村、桜井と天理を銀輪行してきました。銀輪行と言ってもhalf&half(fancargo同行)でありました。
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 切っ掛けは、香芝市平野地区で王族級の古墳と断定される新事実が発見されたというニュース。いわゆる周知されていた平野塚穴山古墳という古墳が、墳丘を凝灰岩で覆われていたことが新たなに発見され、更にその凝灰岩は近くの二上山のものとされると言うこと。同じような例は、斉明天皇の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(明日香村)や天武・持統天皇陵ではないかとされる野口大塚古墳(明日香村)に見られるため、平野塚穴山古墳も同クラスで、斉明天皇の父茅渟大王(ちぬのおおきみ)の墓ではないかとされています。
 南に向かうと二上山葛城山がつながります。
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 報道によると30日に現地説明会が行われますが、後述の理由もあったので先に見学に行こうと云うことです。降雨であの狭い地区では当日は私には無理だという判断です。写真でご覧のように、南に西名阪道路を挟んで二上山が遠望出来ます。往時は、南東を向くと明日香方向が眺望出来たことでしょう。西名阪高速の向こうには武烈天皇陵古墳や顕宗天皇陵、西には孝霊天皇陵古墳もある地区です。いわば隠れた王陵街でしょうか。
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 南下して顕宗天皇陵古墳を見学した後は、明日香村へ中和幹線で。桜井の手前、耳成山を左に見て南下すれば甘樫丘の駐車場です。ここでは、紫陽花が盛りでした。
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cannondale号を下ろしてhalfです。亀石に少し挨拶、まだ向きが変わっていないので大和盆地の洪水は暫くなさそうです。平野塚穴山古墳と同じ手法の葺き石で覆われていたという、天武・持統coupleのお墓を見学です。
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 ここから、畝沿いの道を行くと鬼の俎・雪隠です。
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 遠目で見るとよく分からなかったのは、この時期西瓜を栽培していて烏除けのネットとかぶっていたからです。もっと大きいと思っていた先入観から間違うところでした。
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 さらに農道を行きます。途中友人けん家持氏の恩師犬養先生の歌碑がありました。これを見付ける(多分知っているんでしょうが)と、けん家持は一段演じて下さいます。今日は生スピーカーが同行されていないので残念ですが。
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 欽明天皇陵古墳が見えてきます。その向かいに吉備津姫命の陵墓があって、そこに飼育されている猿の方が有名ですが、先ずは天皇陵を見学しましょう。丁度植木屋さんが入って生け垣が刈り込まれていました。
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お猿さんの方もすっきりと刈り込まれた生け垣の隙間から、愛嬌のある顔を覗かせています。先の亀と言いこの時代にもペットを飼っていたのでしょうかな、機会があればけん家持氏に伺っておきましょう。(ろくな事を聞かないとぼやかれそうですが)
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 この先近鉄線を越えたら斉明天皇陵ではないかと言われる牽牛子塚ですが、後の行程を考えて折り返します。折り返してからは上り坂です、岡寺近くには村の共同浴場「太子の湯」があります。通常ならここで昼食兼湯浴みで銀輪行は頓挫します。
次なるミッションに備えて、コンビニでお握りを買い求めて駐車場へ。到着した時に保冷庫から出しておいたお茶と、バナナを加えてお腹を満たします。では、次の工程へ・・・。
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 例年この時期播州へ出向いて揖保乃糸を求めるのが半ば習慣でしたが、今年は諸事が重なって無理です。そこで、桜井の三輪素麺を求めるのもミッションの一つ。しかし、馬鹿げたことに現金を持参する事を失念し、小銭入れには折りたたんだ五千円札があるのみ。これで、息子や娘への分け前も含めて買えるかどうかですな。三輪の素麺は「よしだ」と(勝手に)決めています。伺うと、上品な奥様がようこそ…。と先の次第をお話しする、生憎cardは扱っていないので、これをどうぞと五千数百円の箱物をいただく。体のいい値切りで「金偏」話の続編になってしまいました。
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 足らず分は我々が辛抱して又買いに来ればいいもの。次は山辺の道沿いの景行・崇神天皇陵古墳を目差します。山辺の道自動車遍というべき国道169号(県道51号)柳本のコンビニには無料駐車場があります。ここで、cannondale号を降ろして先ずは黒塚古墳見学です。
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 沢山の副葬品が発見されて有名ですが、こんな事になるなら何ぞ参考地にでもしておけば良かったと宮内庁は思っているかも知れませんね。
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 その、黒塚古墳の道路対則にあるのが崇神天皇陵古墳です。いたかどうかも確かでない(欠史八代)という割りには、隣に位置する景行天皇陵と共に立派ではっきりと陵墓域が見てとれます。何れにせよ、この時代に想像を絶する権力者がいて、人々を使役して造らせたと言うことだけははっきりと物語っているようですね。
 景行天皇陵拝所。
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 これから先は少々おまけ。相撲神社が有ると聞いていましたが、位置関係から想像するに坂道だろうと諦めから入ってきました。この日は、half&halfで少々体力を温存してきましたので、坂道へ分け入ることとしました。予想通り大変な坂道で、手押しとペダリングの半々となってしまいましたが、相撲神社へも行くことが出来ました。
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 野見宿禰当麻蹴速ケハヤの天覧試合は當麻町播州龍野そして高槻市の野見神社でもご紹介しました。今回で、このネタは「打ち止め」となりそうですね。
梅雨入り台風
重連 適度な降雨 になれば良い <適度山頭火