河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

安堵町の本命は・・・池

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 聖徳太子一行にお会いするまでの本命は池と云えば、何でとお思いになるでしょう。大和に沢山ある農業用用水池の一つ「木戸池」という池は、斑鳩町との境界近く、関西線の直ぐ南にあります。今回この池に向かったのは、柏原歴史資料館のI学芸員に「木戸池には天理軽便鉄道の軌道敷跡がありますよ」というアドバイスです。

 前回、天理軽便鉄道の軌道敷をご紹介したのは、関西線南を法隆寺駅方向へと向かう堤の様な痕跡が続くものと法隆寺駅近くのレンガ造の架橋跡でありました。その逆方向に富雄川を渡った先にあるのが木戸池です。その時は、先を急ぐもので軌道敷の逆を検討するゆとりもありませんでしたが、思えば後があって今があるのもものの本質です。今回も池の脇で案山子に客引きされましたが、それはそれ、これはこれで目的を果たして参りました。

 木戸池は確かによく見ると不自然な構造をしています。池の東西を堤が横切り、その堤も中間に開口部があります。解から先に申しますとこの堤上を鉄道が走り、開口部は池の水利権を分断しないための手法として設けられたもの。これで、南北に分断された池も一つの水利として権利が確保されます。これらは、天理軽便鉄道跡木戸池築堤として安堵町の町指定文化財として2番目に指定されています。

 3番目に指定されている馬場塚五輪塔、国の重要文化財中家住宅と続けて見学しましょう。中家住宅は戦国武将の末裔の館だけあって、平城の構えを持った環濠住宅と云える規模と佇まいです。いざとなったら玄関前に架かる橋を落とし外敵の侵入を妨げる構造には驚きです。安堵町を回遊するように輪行して、車を待たせてある法輪寺方向へ戻りますと、何時もの安堵町駅のホームでは来ることが無い列車を案山子さん達がお待ちでした。

 写真:木戸池(↑切れ目)、関西線列車と、航空写真でも、法隆寺駅方向への軌道敷、中家住宅二題、安堵駅ホームにて

 水利
 水争い 避ける透き間に 人の知恵 <偐聖徳太子