ユネスコの諮問機関イコモスは、堺市、藤井寺市及び羽曳野市が目差していた、古墳49基の「世界文化遺産」への登録をするべきとの勧告を受けたとの報道。それを受けて俄銀輪と過去歴を組み合わせて過日投稿しました。しかし、昨日所用を兼ねて古市古墳群を再び訪れましたところ、意外に収穫が多く別項として掲載します。
では、北から順に巡りましょう。一番北の津堂城山古墳は既報ですので省略して、近くに車を置いた允恭天皇陵古墳から。正面入口が民地となっている古墳は多いが、ここはその典型です。車では正面に横付け出来ません、末裔が墓参に訪れたら徒歩で向かうのでしょうか。
土師ノ里駅前の鍋塚古墳は修復が成功した例でしょう。しかし完全復元すると1・5倍となるという、ここも民地に侵食されているのでしょうか。
仲姫命陵古墳は、応神天皇陵古墳とご夫婦関係ですが配置を見ると反りが合わないように見えます。しかし、それは要らぬお節介らしい、古墳の向きは生まれた暦で決めると聞いています。その、真向かいにあるのが古室山古墳です。ここは外敵から無防備ですね。
鍋塚古墳。
仲姫命陵古墳。
古室山古墳。
ここから、助太山・中山塚・八島塚と並びます。民地と入り組んでいて判別付けがたいですが、何とか並べました。この古墳の隙間から修羅が見つかっています。西名阪高速の脇にあるのが、大鳥塚古墳で南へ進むと応神天皇陵古墳に出ます。
助太山古墳。
ここには宮内庁の職員が常駐していて、近在の御陵印を押せます。鳥居といい雰囲気といい別格を思わせる作りですね。こうなると、蕨採りなどしては逮捕されるかも知れませんな。
応神天皇陵古墳入口。
東馬塚古墳。
栗塚古墳。
応神天皇陵古墳と縁が切れない誉田八幡宮にも拝礼して。南の縁を西に進むと東山古墳があるはずなのですが、特定出来ませんでした。この他、はざみ山古墳、野中古墳、西馬塚古墳が今回欠落しています。羽曳野市役所の裏に出ると墓山古墳です。
応神天皇陵古墳外濠外堤。
墓山古墳。
墓山古墳の回りには、向墓山古墳と浄元寺山古墳が密集しています。帰宅して写真の整理をしていると混乱してきますが、タイムスタンプで並べて確認しています。そして青山古墳です。
浄元寺山古墳。
青山古墳。
峯ケ塚古墳の前の道は大阪外環状です。この辺りから見る二上山も見ようでは、古墳ですね。大津の皇子が眠っていると云われていますが、さもありなん。ここから東へ一直線に白鳥陵古墳です。御所にも墓があった日本武尊の最終着陸地点でしょか。
二上山を眺める。
白鳥陵古墳。
さあ、再び西へ向かって本日の仕上げ、仲哀天皇陵古墳を目差します。辺りはほぼフラットな地形になるため直感勝負ですね。何度か外れた直感通りに来られました。しかし、頼りない直感で野中・はざみ山古墳を飛ばしてしまいました。
この古墳の直ぐ北にあるのが小さな前方後円墳の鉢塚古墳。民家の入口が陵墓内にあったり、脇には幼稚園があり墳墓を前に入口(?)探しが大変です。
これで、世界遺産の古市古墳群巡りのフィニッシュです。辛国神社や葛井寺で休憩しつつ車を置いた允恭天皇陵古墳へ戻ります。最後に済ませようとして残していた「所用」に随分手こずって、熱中症か低血糖の症状かほぼフラフラになって帰宅でした。大きな古墳などは大凡記憶通りでありましたが、細部では感違いもあったものの収穫の多かった銀輪行でありました。
辛国神社。
葛井寺。
新たな収穫とか道端で拾ったネタなどは、また後ほど順にご紹介させていただきます。
参考資料
古市古墳群を散策しよう!!とお考えの方に参考までに分布図を添付します。参考となる、地形地物が詳しく書き込まれていませんので、現地地図と事前にすり合わせておかれるといいでしょう。愚僧のように近くにおりながら見過ごしてしまうと云うことが無いように。
ついでですが、百舌鳥古墳群も添えておきます。
通称と学術的表現そして宮内庁の表記等があるようですので、その点もご注意ください。