河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

久宝寺公園のシャクヤクから道明寺ニオイバンマツリまで

 昨日は先週処理した仕事の成果確認のため再び藤井寺市まで。道中久宝寺緑地シャクヤク、関西線の地下道等々を点描しつつ気楽な無接触、密も無ければ秘密も無い銀輪行です。まずは、久宝寺緑地公園ではシャクヤク、南北の園地を結ぶ歩道橋から見た全体像(シャクヤク園)です。受付では、小母様がおいでお出でしてくれますが、園地へ入るまでも無いので外から観賞。
 赤いシャクヤク

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 ほぼ全景

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 公園の東部へ渡る歩道橋で寺内町へ入ります。この辺りは何度もご紹介していますので、割愛します。南へ進むと関西線に出ますが、この近くに関西線を潜る地下道があります。久宝寺駅にもあったのですが、今はキレイに整備されているので昔を偲ぶとすればこちらでしょう。地下道で湾曲しているというのも、地上にあった道が曲がっていたからでしょうか。旧街道との関連も調べてみましたがよく分かりません、馬車か牛車道であったため、幅員の関係で地下化されたのでしょうか。関西線に二本、八尾飛行場にも一本の地下道路があります(したが)が理由等は今後の課題とします。最近までこの地下道脇にはミルトン工場があって電車からも見えたので、覚えておられる方も多いと思います。
 上を関西線 下を人車が通過

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 関西線を潜り太子堂を過ぎ、やや東に進路を取りますと飛行場の東端に来ました。写真を撮っても良いよと書かれた大きなフライパンがおいでしています。ここでは招きに応じて工場に数歩入り、一枚写真を撮ると端のミラーに自画像も写っていました。これは一杯喰わされたようですね。飛行場関連か小さな町工場が多い場所です。
 大きなフライパンとおじいちゃん

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 この先が外環状線です。大和川右岸で堤防に出て、柏原市域で左岸へ渡る途中のスナップ写真です。二上山から金剛山まで見通せます。この景色は大和川の付け替え後で無いと見ることが出来ません。

 二川合流地点付近から

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 この先の石川近くで一作業。と、云っても先週の成果を確認するだけですので、数分で終了です。作業した場所の前が東高野街道ですので、近鉄南大阪線を跨ぐと道明寺にいけます。
 大きな塔礎石が目印

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 菅原道真大宰府へ送られる直前に叔母覚寿尼の住む道明寺を訪れて、別れを惜しんだと言われています。出立の朝一番鶏が鳴けば分かれ、との思いを詠った「鳴けばこそ分かれも憂けれ鶏の音の なからん里の暁もかな」と詠んだことから、道明寺・誉田付近では鶏を飼わないという伝説が生まれたと云います。
 道明寺本堂(明治の廃仏毀釈天満宮とは切り離されています

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 本日は天満宮はパスします。道明寺駅前に出て大和川合流点を目指しますが、石川と府道22号(長尾道)との三角点で妙な踏切を発見しました。道明寺駅柏原駅を結ぶ道明寺線の踏切1号と記された遮断機の向こうに有るのは一軒家です。建物の後ろは石川堤防ですので、このお宅への出入り口は踏切以外にありません。鉄道ファンなら嬉しくなるような構造ですが、さて暮らしとしてはどの様なものなんでしょうか。お聞きするにもどうやらご不在の様子でした。
 道明寺1号踏切

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 この先ですが、結局の所元の作業場所に舞い戻ってしまいました。久しぶりに走るとやたら躰が糖分を求めているようですが、あと暫く辛抱させることとして志紀駅近くの丸芝商店で小豆大福を買い求め河内温泉大学を目差すことにしました。
 読者諸兄姉には大福餅では無く花弁を道明寺粉で染めたような、ニオイバンマツリで一服どうぞ。

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 鶏晨し 世乱れるは 時今も  <偐山頭火

久しぶりに燻製を

 勢州のKz君が県内を少し移動して小さな旅を体験したという報告を彼から電話で聞いていた。トロッコ電車も面白かったがおじいさんはこの頃焼き芋しか作らないの・・・との問題提起。何が欲しいのと問うと「チーズ」という、そう言えばこの頃贈り物としては焼き芋に片寄っていることを感じました。
 電車が大好きなKz君 チョッピリ冒険のトロッコ電車

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 ならば、と言うのがおじいさんの勤め。早速燻製の材料を揃えることにします。チース、ソーセージそして蒲鉾程度が準備しやすい。しかし、魚とまでも言わないまでも海のものがあればと思案していると、神様か仏様か存じ上げないが写真の珍しい桧扇貝(ひおうぎがい)が、宇和島から届きましたと馴染みの散髪屋Iさんからの差し入れです。彼のお兄さんが宇和島在で、養殖筏で育った新鮮なものを送ってきたから食べてくれとお裾分けです。最近は頭より柑橘など宇和島特産で随分と御世話になっています。
 半分は焼いて(焼く前です 少々色が派手ですね)

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 生でもいけるそうですが、ホタテと同じだと考えて焼きと燻製にする事に。焼きは夕膳の一品に。これだけも随分なご馳走でした。残りは燻製にすることに。いくらかはIさんにお返ししますが、孫達も酒の当て類が好物なので喜ぶでしょう。今燻缶は煙を上げていますが、明日朝には出来上がっているはず。
 燻缶内の様子

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 本日は朝から役場の職員が所用で来てくれたり、郵便局へ行ったり。そして、燻す材料の不足分を買いに行ったり良いおじいさんを演じるのも一仕事です。明日は、出来上がりを箱詰めしてお見送り、数日したら子ども達の笑顔が届くでしょう。20日の入院手術を控えて、コロナに巻き込まれないようにと細心の注意をしています。今のところ体温等に異変は無いようです。

 コロナ発熱チェック表

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 その他欄が勿体ないので、血圧を毎日測ることにしました。今時の基準では少々高めですね。

  ぼけじじい 孫にせかされ 缶いぶす  <偐山頭火

 本日勢州と摂州そしてIさん宅へ旅立ちました

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母の日と「とら」

 本日は母の日です。本来の意味は良く分かりませんが、敬老の日、父の日、子供の日があるなら母の日だってあるに決まっている。なんて、呟くと世に拗ねているような気もしますので、素直に母の日(?)を祝って。
 先ずはカーネーション

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 定番ですね。白いカーネンションにも意味があったような気もしますが、この辺はあまり細かく分類しないで真っ赤にしました。添えたのはとらやの羊羹です。柴又のとらやでは無く、元京都御所近くに店を構えていた宮内庁御用達の由緒正しい「とらや」です。大政奉還と東京遷都で一緒に連れて行かれたとか、法隆寺の宝物と違うところは羊羹のとらやは既に御所脇に支店(?)が戻ってきています。
 とらの故郷矢切の渡し

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 さて、とらやと聞けば寅さんシリーズを思い浮かべる方も多いでしょう。男はつらいよで、生国と発しますは葛飾柴又・・・と啖呵をきる寅さんの実家が「とらや」となっているためです。映画が作られた頃には「とらや」と云う店舗は無く架空の店舗名でしたが、映画が好評だと我こそ「とらや」ができて、40作以降「くるまや」と変更されています。本家「とらや」さんの意向とかも云われていますが、映画作り等で御世話になっていたのが「高木屋老舗」で、そのお店近くで「元祖 とらや」を名乗ると云った事に松竹が配慮したのでは無いかと考えられます。
 とらやデザイン

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 羊羹

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 さて、本論に。愚妻に日頃の御世話になっている礼として本家とらやの羊羹を添えました。独特なとらデザインですが、味以上に趣もあります。羊羹は適度な硬さで重みが感じられる、これこそ羊羹というものでしょう。気の合う友人知人にも季節の贈り物として好評です。愚妻も気に入ったようで、賞味期限が無いようなモノですので大切にしまいこみました。 

 子供や孫達からも

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 何かと気を使ってくれているようです。まだ届かないものもあるようですが、一度にどっさりよりはタイミングがずれるのも良いようです。

 

 虎に寅 倍返しで かみつくか  <偐山頭火

案内したいが積極的に出来ない コロナゆえ

 ご案内して観覧をお勧めしたいが出来ない・・・と云う青春のあわい恋心とでも云うといいすぎでしょうか。本年当初に案内した、玉手山(ぎょくしゅざん)安福寺所蔵の夾紵棺が奈良国立博物館での展示が始まっています。「聖徳太子1400年遠忌記念 特別展聖徳太子と法隆寺」展です。

 棺のことなど我知らずと、永遠の眠りにつく聖徳太子。叡福寺北古墳 太子が眠ると言われる厩戸皇子聖徳太子)・穴穂部間人皇女用明天皇皇后、皇子母)・膳部菩岐々美郎女(皇子妃)ら3人の合葬墓(三骨一廟)

 太子町叡福寺の聖徳太子古墳「三骨一廟」

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 法隆寺

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 今年は聖徳太子の1400年遠忌にあたり、これを記念して特別展「聖徳太子法隆寺」を開催されるもの。展覧会では法隆寺において護り伝えられてきた寺宝を中心に、太子の肖像や遺品と伝わる宝物、飛鳥時代以来の貴重な文化財を通じて太子その人と太子信仰の世界に迫ります。さらに、明治11年(1878)に法隆寺から皇室へと献納された「法隆寺献納宝物」が、奈良へまとまって里帰りともなります。もっとも、献納といっても召し上げられた様なもので、このままお返しされても良いような物ですが。会期は6月20日迄で、コロナ禍のおり色々工夫されて展示されるようです。詳しくは奈良国立博物館で。
 聖徳太子の棺の一部では無いかと注目される(安福寺所蔵)

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この展示会に柏原市内の安福寺所蔵の夾紵棺が展示されます。詳しくは「安福寺所蔵の聖徳太子棺(夾紵棺:きょうちょかん)が奈良・東京国博で展示」をご覧いただきたい。コロナ下で無くば大いに宣伝吹聴したいところですが、こればかりは何も云えません。何かの折にでも都合が付けば・・・とか、記憶に留めて来年以降も機会はあるはずですのでその様なチャンスがあれば是非ご覧下さい・・・と云う事です。
 安福寺山内の瓦葺き通路は何故か夾紵棺に似ています

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 昨日も安福寺を遠望できる石川・大和川合流地点まで所用で出向きました。何も無ければ「今日は、国博では大変な・・・」と云う口実で訪問も有りですが、遠慮させていただきました。安福寺は大坂の陣の後、尾州徳川光友公の庇護を受け珂憶上人が再興したお寺です。その関係で夾紵棺が安福寺に伝わったとも云われています。
 大坂夏の陣供養塔も安福寺にあります

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 秀吉が天下統一の実現直前に豊臣家は滅亡しました。その端緒となった大坂夏の陣の総決戦が406年前の夏今頃に樫井、玉手山、若江そして天王寺で死闘が繰り広げられていました。毎年安福寺では大坂夏の陣で亡くなった人々の供養を行われています。今年はコロナ下(禍)ですが、何ほどかの供養は行われるでしょう。 
 出店品目録より

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 コロナ討て かけ声ばかり ガスの筒  <偐山頭火

月初の墓参

 先月末に法事を執り行っているので、ご住職は月参りは6月までお起こしになりませんが、癖というか身に染みついた習慣でしょうか。月初の昨日は自然と槙を求めて墓所へ足が向かいます。どなたか、先に参られたのでしょうか、線香の燃え滓が転がっていまるがこれがもの悲しいです。
 槙を入れ替えて、線香の燃え滓を綺麗に洗って他の墓から飛んできた花や葉のクズを掃除します。これと云った報告は無いのですが、連休はコロナ禍で集まることが出来なくてリモート宴会をするよ・・・と焼肉が好きだった親爺に「業務連絡」しました。あの世でもやるのかな。
 今月の常照寺の掲示

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 お寺の新しい掲示板には、二十代遡ると二百万人とご縁に繋がるとか。その元と云えば自分の父母から始まります。ですから、母・父の日との思想が生まれたのか、またはご先祖様の始まりは「母」という事なのでしょうかな。でも、胎児と母とは血が繫がっていないというのも不思議ですね。
 さだまさし歌曲からの掲示

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 花屋とはアイコンタクトで槙注文、道中マスク姿も様になったコロナ禍での一周忌墓参でありました。

「いのちの理由」歌詞
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを傷つけて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに傷ついて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに救われて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを救うため

 

法然共生(ともいき)イメージソング「いのちの理由(りゆう)