河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

秋の奈良 鹿を仕留めんと 一条通りを行き三条通りを帰る

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 奈良市内の一条通りを東に、二月堂の裾から三条通りを西にと往き来してきました。主たる目的は鹿を仕留めに、如何様な鹿であるかは最後までお読みいただければ。但し、鹿政談に持ち込まれるような法律関係は発生しておりませんのでご安心して読み進み下さい。

 さて、あやめ池で所要を済ませて定番駐車場へと車を走らせます。法隆寺界隈、藤原京界隈そして奈良中心部でも公設駐車場が便利でお得です。昨日は文化庁が設営の平城宮跡大極殿東の駐車場です。トイレも完備、衛視もおられる大層立派な駐車場ですが、五時までは無料開放されています。駐車場からススキの原っぱの遠くに南大門が見えます、こらから東大寺まで走り再び南大門が見えて来たら本日の輪行の終了です。

 先ず東院庭園をかすめて宇奈多理坐高御魂神社の横を通り抜けて、平城宮跡の東の端に出ます。普通の農村風景ですね、平城宮跡に脚光が当たるまで、延々と耕作を続けてきたのでしょう。河内でも陵を削り農地にされていたのをよく拝見します。俄に重要な文化財だと云われても、補償という名目の対価はあったとしても、そこで生活をされてきた人々にとっては複雑な思いでしょう。天皇陵を世界遺産にと云うお話しの中でも、このテーマは人に知られすに論議されています。

 極楽寺法華寺と玄関先を覗かせていただき三条通りへと出ます。国道24号バイパスを渡り左へ登ると業平伝説の不退寺です。更に真東へ進みましょう、踏切を越えると、若草山への勾配がはっきりと視線にも足にも見えて来ます。法蓮寺界隈に入りますと、右手に奈良育英高校が。その先に佐保川が見えて来ます。川の手前にあるのが、聖武天皇陵と仁正皇太后陵(光明皇后)です。平城京を開発したディベロッパーですね。ご夫婦お二人で並んでお墓にお仲の良いことです。更に進み突き当たると東大寺転害門です。

 東大寺の西北、正倉院の西にありここまでの順路でお分かりのように、平城宮大極殿からほぼ一直線に当たります。東大寺南大門が正門なら転害門は横の勝手口と云ったところでしょう。観光案内所のボランティアが近寄り自転車談義に。小さいとか軽いとかお褒めいただく。私からは鹿の糞が気になってお聴きしたところ、糞転がし等の努力で分解され鹿の餌となる芝の栄養となっているとか。これを応用したしかっぴと云う有機肥料も開発されているそうです。

 転害門をくぐり入山しますと、左右に鼓坂小学校と幼稚園、もう一度突き当たり右に曲がると東大寺大仏殿の大きな鵄尾が紅葉越しに見えて来ました。正倉院事務所の脇を通り更に奥へと進みます。若草山の斜面が急斜面となって迫ってきました。東大寺塔頭持實院の前を右に折れて辿り着いたのが東大寺湯屋重要文化財だそうです。法華寺の浴室(からふろ)と同じ仕組みなのでしょうか。先の課題としてしまっておきましょう。

 これから先は例のインバウンドと正倉院展そして興福寺の北円堂の公開で大混雑、とてもトレンクルの出番はありません。早々に退散ですが、今日一番の大仕事が残っています。それは、鹿の購入です。猿沢の池周辺の出店に吊されているのを発見、二頭購入です。会社を定年退職して親の店を引き継いだという店主曰わく「観光客は増えたが昔ながらの土産にはあまり・・・」と嘆く。そのようなことは税務署相手に嘆くもの、間口二間、奥行き一間にしては大層効率の良い商売ですねと答える。
 
 さあ、これで本日の輪行の目的はほぼ達成です。後は三条通りをひたすら西へ走ると平城宮跡の南大門前に出ます。古風な奈良駅の手前には開化天皇陵がありました。本日二つ目の天皇陵参りとしましょう。更に西で二条通り(国道369号)に繰り替えると宮跡庭園があります。そして更に進むと平城宮跡の南大門が見えて来ました。これで、本日の表題一条を行き三条を帰ったこととなりました、鹿二頭は孫へのプレゼントとします。少しの紅葉や奈良散策を楽しんでいただけましたでしょうか。

 写真:宮跡で耕作、極楽寺聖武天皇陵、転害門、大仏堂と紅葉、東大寺湯屋と付近の紅葉、鹿発見、開化天皇陵、シルクロード最後の駅JR奈良駅舎、南大門へ

 鹿政談
 二間の 商い相手に 鹿商談  <偐税務署員>