河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

藤原宮跡とコスモス

 何にもない・・・と云う表現がピッタリの藤原京跡ですが、コスモスのシーズンは花だらけとは云いすぎですが枯れた広場にコスモスが似合いです。ブロ友の「もりたさん」の訪問記もきっかけでした。
 広い何処かにコスモスが(ローアングルで作画してしまいました)

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 唐の長安を真似て造られた日本最初の本格的な都。我が国で初めて首都として計画的に造られた都市が藤原京です。都が藤原京に移ったのは694年ですが710年に平城京へ遷都します。僅か16年間の都でした。今読んでいる小説「ふりさけ見れば」(安部龍太郎著)によれば、唐の政権から「長安とは似て非なる」と却下されたため、藤原京に見切りをつけて平城宮へ遷都したと云います。当時は唐から認められて、政権が維持出来たのは朝鮮半島を唐が食いちぎった例を見ても明らかでしょう。
 向きを変えてと

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 さて何処から見ましょうか、先ずは畝傍山を借景に。夏でしたら本薬師寺ホテイアオイがこの地での花で、同じ様に畝傍を背景に使います。
 畝傍とコスモス

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  畝傍とホテイアオイ

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 どちらもいい景色ですが、コスモスの方が距離があって間の建物が気にならない分勝っているような気もします。
 暫く銀輪していると南のはしまで来ました。収穫が終わった稲穂が整然と並べられています。農作と幾何学模様の妙が美しいですね。
 収穫後の稲穂

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 本日途中山麓バイパス沿いの店舗でお米を買いました。「金剛葛城山麓米」と云いますが、藤原京で作られたお米のブランドは「藤原宮跡米」とでも呼ぶのでしょうか。「跡」はとった方が気が利いているかも。
 朝堂院東門先より

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 この辺りから西を望むと、二上山から金剛山まで屏風のように繫がります。この屏風を舞台に様々な歴史絵巻が演じられてきたのです。山を越えて河内、海を渡り大宰府そして海原を越えて朝鮮半島や中国更にシルクロードと・・・。
 そのようなことも研究しているのか「奈文研」の飛鳥藤原宮跡発掘調査支部が、東にあります。展示内容等は写真でご覧下さい。無料と云いますからトイレ休憩にもいいでしょう。
  飛鳥藤原宮跡発掘調査支部

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 展示案内等

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 さて、ぼちぼち戻りましょう。平城宮跡も同じで中心部は買収されていますが、藤原宮跡も飛鳥藤原宮跡発掘調査支部との間に民地が残っています。幾ら大切な跡地だと云われても、ハイそうですかと立ち退きに応じられるものでは無いでしょう。思惑が一致したら買い取っていけばいいでしょう、その分「藤原宮米」の作付け面積が減りますが。
 だんご庄

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 明日勢州からKz君が里帰りです。2年ぶりに帰ると云うこと、一部「しまかぜ」号にも乗れると大はりきりだそうです。大和川の沈下橋、ケーブルカーと約束を沢山しています。その親子(母子のみ、父は明後日来阪)の歓迎の一つとして「だんご庄」で団子を買いました。伊勢の和菓子には及びませんが、大和では中将餅とだんご庄は逸品です。

 春さくら 競う季節の 秋さくら  <偐山頭火