河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

暗峠を越えると

 普通でありますと玉造辺りを出立した旅人は、奈良街道を生駒にさしかかり暗越を進むのが落語「東の旅」の出だしです。本日はその逆打ちというか奈良市内から奈良街道を南生駒まで「西の旅」小旅行です。副題としては富雄丸山古墳の旅でしょうか。
 丁度良い目的を奈良のあやめ池辺りでっち上げたものです。その所要をすませて学園前から奈良国(ゴルフコース)の前を下り、突き当たり辺りで右折すると富雄川と交差します。そこを更に西に数百メートルほど走ると目的の富雄丸山古墳が左に見えてきます。
 第二阪奈道路の高架橋と丸山古墳の位置関係 左白く見えるのが第二阪奈道路

 現地説明会は相当混雑したのでしょうが、本日はもぬけの殻状態です。当然でしょうが盾も刀も無いタダのお椀のような墓があるだけ。古墳という説明が無ければそれすら思いつくことは無いでしょう。
 道路に接して看板があります

 テニスコートとの堺に細い通路がありそれに従って上りますが何も無い。仕方が無いので後から来る人のために団栗でイタズラをしましょう。どこかに出っ張りがあってそこから出土したといいますが、一周する気力も無く立ち去ろうとしたら引き継ぎが来られました。愚僧のような方もおられるのでしょう。
 団栗でイタズラ 誰か世紀の発見といってくれないか

 ここから追分梅林を目指します。梅の季節になると第二阪奈道路から見事な梅林が階段状に広がっているのが楽しめました。ここも枚岡梅林と同じ病害で全て切り取られ、現在修復に努められています。写真ででも枝の先に花の色が見えています。
 追分梅林

 紅梅でしょうか

 追分の梅林から更に「西の旅」を進もうとすると大和郡山へ続く道との交点に村井家があります。茅葺きの見事なお屋敷です。屋敷を左に見つつ進む旧街道は現在では難所ですね。旅人二人連れなら適度な幅ですが、軽四輪といえども交差など出来かねる道が続きます。
 村井家住宅

 追分神社とか

 何カ所は腰を据えて写真を撮りたいと思う場所がありますが、道幅を考えると無理な話です。いつの日か徒歩で訪れる時まで辛抱しましょう。矢田丘陵のピークを越えて暫くすると、扇のように生駒山が広がってきました。山頂の左に見える凹み辺りが暗峠です。
 扇の様な生駒山

 このまま進めば枚岡駅近くまで奈良街道は続きます。もう一つ所用がある愚僧は、竜田川沿いを走ります。日曜日に来るという孫が苺を植えるというので苗を求めて斑鳩へ。無事に苺の苗を求めることが出来、龍田越の奈良街道で河内へ戻りました。仕上がってみると、奈良大阪を暗峠・龍田越えぐるりと回るエンドレスの東西の旅となっていました。

 大和なら ぐるりと回る 東西の旅  <偐山頭火