河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

万葉歌碑を巡るMTBの旅余談 大津皇子の墓は

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 大津皇子の葬られている二上山を背にして、大伯皇女の弟を思いやる歌碑が建てられていたのは櫻井市古池堰堤でした。微妙な間隔で大津の皇子の歌碑と離れて立ちます。

 この大津皇子の墳墓は二上山の雄岳(高い方の頂)にある。宮内庁名で「大津皇子二上山墓」とあります。しかし、謀反の疑いをかけられて自死されられた皇子の墓が、大王たちを見下ろす頂にあるのはおかしいと、異論もあります。異論を唱える人々は、その二上山の麓にある鳥谷口古墳が実際の墓ではないかと考えています。

 麓とは言え、この鳥谷口古墳からも大和平野が見渡せ明日香も手が届くように見えます。ここでも、その少し下に大伯皇女の例の歌の歌碑があって、古池と同じような設定になっています。歴史好き、悲劇にロマンを感じる人々の考えは似てくるのでしょうか。

 先日の万葉歌碑を巡る旅のあと、大津皇子の墓ではないかという鳥谷口古墳と大伯皇女の歌碑を見学してきましたので、ご紹介した次第です。事情が許せば雄岳まで行けばよかったのですが、遠景でご勘弁ください。

 写真:二上山を當麻の里から望む、鳥谷口古墳と古墳からの眺め、鳥谷口古墳説明、大伯皇女歌碑、歌碑説明板(通説ですね)

 當麻の里にて
 悲劇など 我知らぬと 穂は垂れる    <偐山頭火

鳥谷口古墳:近鉄当麻寺駅下車西、當麻山口神社北西200m
大伯皇女歌碑:近鉄当麻寺駅下車西、葛城市交流館多目的ホール