河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

お湯休め「応神天皇陵と誉田八幡宮へ行く」

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 叔父の見舞に羽曳野市までMTB行です。多くの叔父がいましたが今残られているのは一人だけです。母方ですので出身地の羽曳野市に居ます。同市には多くの古墳がありますが、表題の応神天皇陵の直ぐ横に実家はありました。

 ガキの頃は、実家に行くとこの古墳で蕨を採っていましたので、山だと思っていました。暫くして「ごりょう」という山では無く。御陵だと言うことが理解してからは、垣根を越えて入る意味が分かりました。確証はありませんが、管理者とは暗黙の了解があって、下草刈りが条件で入山(?)していたのかもしれません。

 この応神陵をご神体とする神社が誉田八幡宮です。誉田とは応神天皇の諡です。ご神体と神社を結ぶ橋が放生橋で石作の太鼓橋。9月例大祭では御輿がこの橋を渡って応神陵へ入りますが、生粋の氏子のみが許されているそうです。

 このような古墳ですが、時代によっては扱いは様々であったようです。この説明板には記載されていませんが、付近の古墳では夏の陣の時には、墳丘の上に櫓を作ったという記載を見たこともあります。戦時には、手頃な物見台であったことは想像できます。

 写真:誉田八幡宮、放生橋と応神陵、戦跡の碑、説明板

 ごりょう
 蕨採り 時間制限 謎が解け  <偐山頭火